可視化の海で

 その雑踏の中で、彼女は妙に目立った。しかし特別に美しいという容姿でもなければ奇抜な行為をしていたというわけでもない。花壇の縁に腰をかけてオーディオプレーヤーを操作しているだけだ。
 だが、たまたま周囲をスキャンした時彼女の持つプレーヤーが相当古い機種であったことと、それが故に再生が困難であることが分かったため、僕は彼女がプレーヤーを手放さずに操作し続け、更には彼女がひどく悲しそうな表情を浮かべているのを疑問に思った。
 今はさして忙しくもなく、買い出しに出てきただけなので多少の時間はある。困っているであろう女性に対し、僕の中のプログラムが「手助けをせよ」と告げていた。

「お困りですか」

 声をかけると、彼女は弾かれたように顔を上げた。警戒と驚きの色が見える表情に、僕は身分証を提示しながら優しく話す。

「怪しい者ではありません。僕はコナー。警察の捜査補佐アンドロイドです。たまたま周囲をスキャンした際、あなたがとても悲しそうな顔をしていたので、つい」

 ありのまま説明すると彼女の目が幾分緩められ、大きく息をついた。

「あ、アンドロイドか……びっくりした」

「驚かせてしまい、申し訳ありません」

「ううん、大丈夫。この街きたばっかりで、あんまりアンドロイドに慣れてなくて」

 お気遣いありがとう、と彼女は薄く口元を持ち上げて言うと、視線を手の中に落とした。古いオーディオプレーヤーから伸びるイヤホンコードは、もちろん彼女の耳にかけられている。ただし、片方だけ。

「無線対応していない機種というと……最低でも10年は経っていますね」

 そう言うと、彼女はふっと息をついた。

「そっか、アンドロイドは見ただけで分かるんだったね。……そう、すっごく古いやつなんだ。だから、もう音が出なくって」

 それで悲しそうな顔をしていたのかと納得はしたが、同時に新たな疑問も浮かぶ。

「買い換える予定は……」

 彼女は静かに首を振った。

「なんとなく、替えられないの」

「なんとなく」

「だって、ずっと一緒にいたんだよ。まだ10代のころからさ、好きなアーティストの新曲出る度にわざわざCD買って入れて。その前に一回CDで再生してね、聴きながら、過去のアルバムから自分だけのプレイリストをワクワクしながら作って、それがいーっぱいあるんだよ。データは引き継ぎできるけど、そういう思い出みたいなのは、この子にしかない」

 そう言って彼女は、ぎゅ、と手の中のプレーヤーを握りしめた。表面は所々傷つき、塗装がはげていても、彼女がどれだけ「その子」を大事にしているか、容易に理解できた。
 僕は俯きがちになった彼女の横に座り、手を差し出した。

「少し、見せていただけませんか?」

「え、うん」

 彼女からプレーヤーを受け取り、スキャンをかける。すると、バッテリーの磨耗と接続部の接触不良が挙げられた。検索をかければ互換性のある部品が流通している。入手できる場所は――

「え、っと。コナーさん?」

 声をかけられスキャンを止めると、戸惑った表情の彼女が僕を覗き込んでいる。そういえば彼女はアンドロイドに慣れていないと言っていた。

「このプレーヤーをスキャンしていました。見たところ、イヤホンの接続部が接触不良を起こして音が出なくなっているようです。その部分を交換すれば大丈夫でしょう」

「え、ほ、本当に?」

「はい。同じ部品はありませんが、代替できるものが流通しています。少々専門的な修理店に行く必要がありますが、付近にあるようですね」

 彼女は口を開けたまま何度か瞬きし、それから口元を綻ばせた。

「よ……よかったぁ!そっか、完全に壊れちゃったわけじゃないんだ……よかった……」

「丁寧に使われているから、ですよ」

「そっかな……へへ、ありがとうコナーさん!」

 プレーヤーを返すと、彼女は慈しむように両手で包み込んだ。本当に大事にしている様子がよく分かる。
 この街で機械は消耗品だ。壊れたら捨て、また次のものを買う、その繰り返し。彼女のように同じ機械を長く使い続ける者はあまりいない。このように、まるで長年の友人のように扱う者も。
 身体を巡るブルーブラッドが、奇妙な脈動をした。同時にソフトウェアの異常を検知する。

「コナーさん?」
 不思議そうに首を傾げる彼女に、僕はすみませんと断りを入れて立ち上がる。

「そろそろ戻らなければ……プレーヤーが直ることを願います。では」

「あ、ま、待って!」

 振り返ると、驚いた顔の彼女が僕の手を掴んでいた。なんと答えようか思案していると、彼女は慌てて手を離す。

「な、なんで掴んじゃったんだろ……ごめん、なんでもないんだ、自分でも、よく分からなくて」

 頬が紅潮し、心拍数が上昇している。一般的に恥ずかしいという感情であるが、その直前の、彼女の行動は僕にも理解しきれなかった。
 それなのに、その行動にどこか納得をしている自分もいる。先程から奇妙なことが続いているのは、一体なにが原因なのか。

「――宜しければ」

 身体を彼女のほうに向け、

「修理に出すのであれば、同行致しましょうか。本日は残念ながら時間がありませんが、後日であれば。都合のいい日と時間を教えていただけますか」

「そ、そこまでしてもらうの悪いよ」

「勤務時間外の行動は特に制限もされておりませんから」

「そういうことじゃなくてね」

「ご不満でしょうか」

「そういうことでもなくてね!うわー意外に押しが強い……分かったよ。確かに知識ある人がいてくれたほうが助かるしね」
「光栄です。では連絡先を」

「はい。……よろしく、コナーさん」

「コナーで良いですよ」

「初対面の人をいきなり呼び捨て出来ないなぁ」

「アンドロイドですよ?」

「そうだけど……じゃあ間を取ってコナー君」

「間ですか」

「うん」

 にこりと照れくさそうに笑う彼女に微笑み返し、今度こそ、その場を後にする。
 買い出しを頼んだハンクには怒られてしまいそうな時間になったが、RK800としては有意義な時間になったと言える。このソフトウェアの異常は、きっと彼女と過ごしていれば解明できることだろう。