少女漫画のインサイド

—前回のつづき

 何がどうしてこうなった。ひたすらタオルや飲み物を配り歩き、進行を確認しながらふと思う。
 やたら長い車がうちの前に止まったのがつい数時間前の朝。その中からまごうことなき跡部様のお姿が参上し、呆然とする私に眉をひそめて「メール入れただろ」と言い放った。慌てて確認すれば、確かに昨日11時過ぎに『7:00に迎えに行く』と簡潔に書かれていた。だが、私の携帯の設定で11時から8時の間は就寝モードで通知音が鳴らないようにしてあるから気づかなかったというわけだ。で、それをそのまま説明したらチョップを食らった。思わず「これが伝家の宝刀、空手チョップ……」と呟いたらもういっぺん今度は強めに食らった。そんな怒らんでも。
 そんなこんなで、休日だというのに他校との練習試合、裏方雑務をやらされる羽目になったのだ。

「それでも手伝ってくれる未登録苗字ちゃんは偉いねぇ」

 設営されたテントの下、並んで業務をこなす滝先輩が言う。ちゃんと話すのは今日が初めてだったが、指示を仰いでいるうちにだいぶ打ち解けたように思う。滝先輩も物静かな人なので気が合ったのかもしれない。

「任された以上はキッチリがモットーなので」

「さすが生徒会書記。やるねー」

「生徒会というか、性分みたいなもんですかね。半端は好きじゃないんです」

「そっかそっか。だから跡部も未登録苗字ちゃんには気を許してるんだね」

 ……はい?
 今しがたとんでもない発言が滝先輩から飛び出した気がするんですが。聞き返そうとしたのだが、巻き上がる氷帝コールに掻き消えた。コートに跡部様と対戦相手が入ったところで、熱気のこもったコールに跡部様は悠々と片手を上げて応じている。まさしく王たる立ち居振る舞い。
 ――眩しい。
 私の性格は自他共に認めるほど古風で冷静で、周囲のギャラリーのように熱を上げて叫ぶことなんておよそない。かと言って跡部様のように注目を浴びて尚堂々としていられるほどの胆力もない。
 ここにあるのは私に足りないものだらけだ。そう思ったら、目の前の光景が、遠い異国のもののように現実味を失った。

「わっ!」

 いざ試合が始まろうというところ、ガチャンという音と共に背後で誰かが叫んだ。振り返ると一年生がタンクを倒してしまったようで、机にドリンクが滴っていた。私は手早く乾いたタオルを掴み、吸わせながら拭いていった。 「手際いいねー」と滝先輩に褒められたが先輩の方が十分手が早いです。
 手洗い場にて、零した一年生と並んでタオルを洗う。結構な量になったので、これでは跡部様の試合は見られないなと思ったが、同じ氷帝なんだから機会はいくらでもあるか。と言っても今まで見たことなかったわ。失敬失敬。

「先輩あの、ほんとすいません」

 洗いながら、一年生の男の子が眉尻を下げる。

「大丈夫だよ。すぐ拭いたし、一番うるさく言うであろう部長も試合だったから見てないしね」

 だから心配ないよと笑いかければ、男の子はちょっとだけ視線を逸らす。

「……落ち着いてますよね、未登録苗字先輩って」

 羨ましい……違うな。尊敬?もちょっと違うか。なんとも言えない声色で、その子は濡れたままのタオルを握りしめている。なんて声をかけていいのか分からない。私まで洗いかけのタオルを握っていたまま、その子を見つめていた。

「あの、俺。未登録苗字先輩のこと前から知ってました」

「え、」

「部長と、生徒会のことで話してるの何回か見てて……ずっと気になってて」

 え、ちょ、ちょっと待って。なんだこの流れ。

「今日は、カッコ悪いとこ見せちゃって、全然そんな時じゃないんですけど、好きなんです。未登録苗字先輩が」

 まるで少女漫画みたいな、シチュエーション。
 混乱した私はぽかりと口を開けたままその男子を見つめるしかできなかった。

「よかったらその、俺と」

「おいお前ら」

 閃光のように鋭い声が割って入った。姿を確認するまでもない、跡部様だった。試合を終えたばかりなのだろう、額に汗を浮かべて荒い息で肩を上下させている。跡部様はつかつか歩み寄ると、震え上がる男子部員に「テメェはあっちの片付けを手伝え」と命令し、男子が去っていったあとを見送ると深くため息をついた。

「ったく……どこ行ったかと思ったら、テメェは何しに来たんだ。告白なんかされやがって」

 それは私のせいでは、とか、彼の告白を『なんか』はキツくないか、とか、なんで跡部様が怒り気味なんだ、とか色々ツッコミは思い浮かんだのだが、それよりも私の頭を占拠してやまないのは。

「は、はじめて、告白された……!」

「あぁ?」

「跡部、さま、私っ、生まれて初めて告白されてしまいましたどうしましょう」

「な、」

「私なんかのことを好きになってくれる男子がいたのですね……!しかもずっと気になっていただなんてそんな言葉少女漫画でしかありえないと思っていましたし自分が言われても別になあとすら思っていましたがなかなかどうして嬉しいものですね……!」

 どうしよう。どうしよう。嬉しすぎて興奮してつい早口になってしまった。顔中に集まる熱が冷めやらず、両手で頬を包むも当然ながら冷めるでもなくますます熱くなる。

「……初めて、ね」

 跡部様が呆れたように呟いたところではっとする。そうだ、今日はテニス部の手伝いでここにいるんだった。これ以上私情で業務を滞らせる訳にはいかない。さっき跡部様にも注意されたというのにこいつはうっかりだ。

「そいつは俺がもらう予定だったんだが」

 ……はい?
 今しがた跡部様からとんでもない発言が……ってこれデジャヴすぎるぞ。一体全体どうしたんだ今日は。
 目を白黒させていれば、跡部様は私のネクタイを優しく握り、それをしなやかな動きで口元に持っていっ…えええ?

「初めての恋人の座は、俺様に寄越しな。未登録名前」

 やや上目遣いで、アイスブルーの瞳が私を射抜く。
 少女漫画みたいな展開が起こったと思ったら、今度は少女漫画以上の展開が私を襲った模様。
 逸らせない。でも、なんと答えれば。迷っているうちに、跡部様はふっと笑ってネクタイを離した。

「返事は今すぐじゃなくていい。落ち着いたら言え」

「え、で、でも」

「どうせ答えなんか一個しかねえだろ?」

 最強の捨てゼリフを吐いて、我らが王様は満足気に去って行きました。
 ――案外、少女漫画もばかにできない。私は強く思ったのだった。

(そして今後の展開も、きっとそんな風になる)