ルナティック

赤い月が昇る。
蝙蝠が飛び回る。
風で木が揺れ、ざわざわと葉音を立てる。

その中を、ボクは一心不乱に走っていた。
運動することなんか大嫌いだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
一刻も早くここから離れなければならない。
水を飲む暇も汗を拭う暇もなく、ボクはひたすらにがむしゃらに走り続けた。
それでもなお、容赦なく紅い声がささやき続ける。

――どこへ行っても同じことだ

……うるさい

――お前は、逃げられない

……うるさい、だまれ

――私は、もうお前に

「うるさいッ!」

大声を張り上げる。
自分自身を鼓舞するため、そして、湧き上がる恐怖を押し殺すため。
認めたくはない。ボクが恐怖するなんて。
しかし、認めなければボクは、本当にこの紅い声に飲み込まれてしまう。
それだけは、絶対に避けなければ。

「……クルーク!」

思わず足をとめてしまった。
聞き覚えのある声。

「、未登録名前……」

「走っていくのがたまたま見えたから、追いかけてきて……一体どうしたの?」

いつもなら、この声を聞くだけで嬉しくなった。
名前を呼んでもらえるのが嬉しくて、つい意地の悪いことを返してしまうこともあった。
でもダメだ。今は、今だけは。

「未登録名前」

「な、なに?」

「きえろ、ボクの前から」

「え、なん、で」

「きえろって言ってるんだ!」

心の迷い。
感情の裏返し。
本当のことを言えない戸惑いが、隙を生んだに違いない。
ボクの視界は紅みがかり、最後に見えたのは、恐怖に染まりゆく未登録名前の顔だった。

(狂気に身を委ねよ)