小手毬の十八日

小手毬の十八日

 前職は、大きくも小さくもない企業の事務員だった。慢性的に人手不足な職場だったため、「これ事務がやることか?」みたいな仕事も振られることが多々あり、おかげで大抵のことは一人で出来るようになってしまった。そのためか、この本丸を引き継いでからおよそ二週間、審神者の仕事自体は難なくこなせている。

「スタートダッシュとしては悪くないと思います」

 政府派遣の管狐、こんのすけは私がまとめた資料から顔を上げて淡々と告げる。

「資材の消費ペースがやや気になりますね。もう少し余裕が持てるようにしましょう。ほかは申し分ありませんので」

「はーい、分かりました」

「では」

 資料を咥えたこんのすけが空中で一回転すると、煙のように消えた。管狐というのは便利なものだ。その分事務的でとっつきにくいけれど。
 一連の報告を終えて、私はぱたりと畳に体を横たえた。審神者の仕事は難なくこなせている。そう、仕事自体は。
 心はそうもいかない。いや別に、以前の政府職員とのいざこざを引きずっているわけではない。むしろあの職員は翌日朝イチで丁寧な謝罪のメールと、更に電話まで寄越してくれた。私のほうも本丸やみんなの様子を見てどれだけこの職員が心を砕いていたかを知ったところだったので、やる気なさそうな態度を取ってしまったことをお詫びした。よってこの件は落ち着いている。
 では何が、というと、本丸のみんなとの距離である。初日の夜に長曽祢さんが言っていたとおりみんなは表向き快く迎え入れてくれたが、まだぎこちなさというか、緊張感のようなものを感じる。それが新しい主に対する警戒心なのか、歩み寄るための二の足を踏んでいるのかは分からない。私自身もみんなに対して遠慮している自覚があるので、どうすればみんなともっと近づけるのか考えあぐねていた。
 仕事に支障があるでもないから、と囁く自分もいる。けれど、これからも一緒に暮らすのに居心地が悪いままでは彼らもしんどいだろうと叫ぶ自分もいて。まとまらない考えはぐるぐる渦を巻いて、自分のなかに留まるばかりだった。

 と、そのとき。庭から物音がした。

 てん、てん、と何かが跳ねるような音。不思議に思い庭に続く障子戸を開くと、一つのボール……ではなく、鞠が転がっていた。一体どこから? と庭に降りて鞠を拾うと誰かの足音が近づいてきた。

「あっれー……確かこの辺に……あれ? 新しい主さん?」

 やってきたのは、オレンジ色の髪に若草のような瞳を持った男の子。

「君は……浦島虎徹くん?」

「そーそー! 長曽祢兄ちゃんがお世話になってまーす!」

 びしっと手を上げて元気に挨拶するものなので、つられて私も笑顔になった。
 浦島くんと話をするのは初めてだったが、長曽祢さんから少しだけ聞いている。いつも元気いっぱいで、誰とでも仲良くなれる人懐っこい子だと。「贋作が真作の兄という立場で、難儀している」そう言った長曽祢さんの表情から、彼がどれだけ弟たちを思っているかがうかがえた。

「探してたのはこれ?」

 そんな言葉を思い出しながら鞠を渡すと、浦島くんはあっと声をあげた。

「それそれ! ありがとう! そっか、ここ新しい主さんの部屋になったんだっけ。ごめん、向こうの庭でみんなと遊んでたんだ。うるさくなかった?」

「ううん。戸を閉めてたから気にならなかったよ。……みんなって?」

「粟田口の短刀の子たち! あと今剣も。みんなで蹴鞠してたんだー」

 なるほど、それで鞠が飛んできたというわけか。

「いいなあ。楽しそう」

 みんながいるであろう庭のほうを見てぽろりと零すと、

「主さんもやる?」

「えっ」

 予想外、だった。遊びに誘われるなんて。
 私はまだみんなと打ち解けていないのに。

「あ、運動するの苦手? 体が丈夫じゃないとか」

「そんなことはない、けど」

 あれ、なんか既視感があるぞこのやり取り。

「じゃあやろうよ! こっちこっち!」

「わ、!」

 浦島くんに手を引かれ、少し離れたところにある広めの庭へ。そこにいたのは四振りの短刀の子たち。ええっと、今剣くん、秋田くん、五虎退くん、厚くん、だ。
 何やら話し込んでいたみんなだったが、浦島くんがおーいと声をかけると一斉にこちらを向く。

「おー遅かったな……って、」

 私の姿を見た厚くんがぎょっとしている。そりゃ、そうだ。今まで挨拶くらいしかしていなくて、まともに会話したことなんてないんだから。他の子たちも怪訝そうな顔をしていて、五虎退くんなんかはなぜか泣きそうになっている。
 やっぱ私がいてもお邪魔なのでは……と思いかけたが、すぐに打ち消した。せっかく浦島くんが作ってくれた機会なのに、無駄になんかできない。

「私、蹴鞠ってやったことなくてさ。良かったら教えてくれる?」

 短刀の子たちはそれぞれ顔を見合わせた。
 そして、

「いいですよ!」

 そう口火を切ったのは、今剣くんだった。

「でも、あるじさまとはいえ、てかげんはしませんからね!」

「えっ勝敗あるのこれ」

「一応、あります……すみません」

「あるんだ……」

「んな難しいことじゃねーって! 鞠を蹴って、落とさないように次の奴に回せばいいんだよ」

「じゃあ、落とした人が負けってこと?」

「そういうことになりますね。主君、がんばりましょう!」

「よーっし! じゃあ始めるぞ!」

 浦島くんの掛け声とともに、みんなが円形に散らばった。慌てて私も円に入り浦島くんと五虎退くんの間におさまる。
 浦島くんが鞠を足の甲に乗せると、そのままぽん、ぽん、と蹴り上げた。そうやって蹴るのか、と様子を見ていると、浦島くんがニッと笑いかけた。

「次、主さん!」

「う、お、わ!」

 一層高く跳ね上がった鞠。落とさないように足を踏み出すとなんとか蹴り上がった。

「大将、やるじゃねーか!」

 受け取った厚くんが豪快に笑い、余裕そうに鞠を蹴る。

「よっ、と! 主君、もう一度ですよ!」

 秋田くんが一層高く蹴り上げた。これは着地点が難しいな!?

「わーっ高い! ……っとお!」

「なかなかやりますね! とうっ!」

 今剣くん、一本下駄でどうやってあんなにきれいに蹴れるんだ……?

「わわっ、……はいっ!!」

 五虎退くんも、おどおどはしているけどしっかり狙いを付けられている。
 みんなを見ていたら、私も負けないぞという気持ちが湧いてきた。

「よし! 次、浦島くん!」

「とりゃー!」

 元気な掛け声と一緒に鞠が跳ねる。それをまた次の子が、また次の子が……と、蹴鞠はどんどん続いていく。それを見ていたら、私が最初に抱いていたモヤモヤなんかどこかへ吹き飛んでしまっていた。
 楽しい。
 この本丸に来て初めて思った。
 難しく、考えすぎていたんだろうな。きっと最初の一歩はなんでもよくて、不恰好でもみっともなくても、足を踏み出しさえすればそれでよかったんだ。そうすれば、見えない壁なんか最初からなかったことにもっと早く気づくことができた。
 そして、それはみんな同じだったってことにも。

「――あ!!」

 五虎退くんが取りこぼした鞠が地面に転がった。

「す、すみません……!!」

 私はそれを捕まえると、五虎退くんに目線を合わせるためにしゃがみこんだ。

「私が変なふうに蹴っちゃったよ。ごめんね」

「いっいえ……僕が……」

「気にすんなって! 落っことした数で言やぁ大将が一番多いんだからさ!」

「厚くん! いやそのとおりではあるけども!」

「うう、すみません……でも、次はがんばり、ます!」

「その意気、その意気」

「――みんな!」

 そのとき、屋敷側の廊下から掛かった声にみんなが振り向いた。

「もうすぐ夕食の――……あなたは」

 そこにいたのは、粟田口の長兄である一期一振さんと浦島くんの兄、蜂須賀虎徹さんだった。二振りとも、少し迷ったような表情をしている。
 みんなが元気よく返事をして次々座敷に上がっていくのを見届けて、私は二振りに笑いかけた。

「みんなに遊んでもらっていたんだ。すごく楽しかった」

 そう言うと、二振りともびっくりしていたけれど、すぐに微笑んでくれた。

「それは何よりです。弟たちと遊んでくださり、ありがとうございました」

「俺からも礼を言うよ。あんなに楽しそうな浦島は久しぶりに見たから」

「いやそんな、お礼なんて」

 むしろきっかけをくれたのは、浦島くん始めみんなのほうだ。それがなかったら、こうして踏み出す勇気はまだ持てていなかっただろう。
 奥からみんながせがむ声に返事をしながら、さて私も夕食にと縁側へ上がると、蜂須賀さんが一期さんを先へやってから私に向き直り、「少しいいかな」と切り出した。

「顔に泥がはねているよ」

「えっウソ。どこ?」

「拭いてあげよう。じっとして」

「いや、自分で……」

「鏡も持っていないだろう? すぐに済むよ」

 そう言って蜂須賀さんは、懐から手拭いを取り出して私の顔に向けた。反射的に目を瞑ると、柔らかい手拭いが両頬を撫でる。そんなにはねてたのか……と恥ずかしさを覚えていると、蜂須賀さんがふっと息をついたのが分かった。

「主」

 目を開ける。
 蜂須賀さんは、翡翠色の瞳をゆるく細めて穏やかに笑っていた。あれ、この笑い方は。

「本当にありがとう。良ければ、また弟と遊んでやってほしい」

 実は、ちょっとだけ、蜂須賀さんには身構えていた。
 なぜかと言うと彼は前任者の初期刀だからである。前任の審神者とこの本丸に対する思いは、他の誰より強いだろうと思っていた。更に近侍はあの長曽祢さんで、しかも恋仲。その胸中たるや、である。
 その彼が、こんなふうに笑いかけてくれたのだ。

「もちろん。浦島くんとも、みんなとももっと話せるようになりたいから」

「……そうだね」

 贋作と真作でも案外似ているところがあるんだな、という小さな感想は胸の中にしまっておくことにした。

 夕餉時、主の席の様子を見て驚いた。粟田口の短刀を中心に、主の周りに集まっているのである。その中には浦島の姿もあった。つい先日までのよそよそしい雰囲気など少しもなく、皆楽しげに会話している。聞けば昼時、今剣たちと蹴鞠をしたのがきっかけだという。
 ――良かった。
 胸中で安堵の息をついた。主が皆との距離を縮めたいと考えているのは知っていた。しかし、口下手なおれでは取り持つことができずにいた。
 最初にきっかけを作ったという浦島には感謝しなくては、と思いながらその光景を眺めていた。

「娘の成長を見守る父親みたいですね」

 ぎくり、とした。

「国広……からかうのはよせ」

 堀川国広を始め和泉守や清光、安定といった新選組馴染みの面々が、にやにやとおれを見ている。

「でも嬉しいでしょう?」

「それはそうだが……」

 言い淀むと、和泉守がおれの肩に伸し掛かった。

「経緯が経緯だからなぁ。オレたちも後任とどう付き合うか考えすぎてたんだよな」

「兼さんってば珍しく悩んでたもんね」

「珍しくってなんだよ!」

「……ホント言うとさ、」

 そう切り出したのは安定だった。

「僕は新しい主のこと、受け入れられないだろうなって思ってた。みんなで決めたことって頭では分かってたけど、前の主も……沖田君のこともまだ好きだから。だけど……」

 安定は視線を真っ直ぐ主に向け、「あの人はあんな風に笑うんだね」と呟いた。その声音は穏やかで、口元は微かに笑っている。

「全く、安定は女々し過ぎー……って言いたいとこだけど、実は俺も似たようなもん」

 ため息混じりにそう言ったのは清光だった。

「前の主は俺のこと……俺たちのことをすごく愛してくれてた。だから新しい主にも同じように愛して欲しいーって思ってたんだけど」

 わっと笑い声が大きくなる。主が提案した新しい球遊びの説明が、短刀たちに喜ばれたらしい。

「前の主はあんな風に遊んでくれる人じゃなかったもんね。体も弱かったし……『同じように』っていうのは、違うのかもって思った」

「……そうだな」

 あの日。
 前の主が審神者を辞すると皆に告げた日。あの日から、おれたちの時間は止まっていた。本丸を解体措置ではなく引き継がれることが決まっても、喜びより使命感の方が勝っていた。主が守ったこの本丸、おれたちも同じように守り続けなければ、と。
 しかし、それは違った。
 どんなに請うても前の主はもういない。いない者の姿を追い続けるのは、歩み寄ってくれた今の主に申し訳が立たない。
 変わらなければならない。
 あの人が立て、この人が背負った本丸を、共に歩んでいくために。

「さーってと、それならいっちょ親睦会と行くか! ――おーい! その球遊び、オレも混ぜなぁ!」

「あっ、待ってよ兼さん!」

「俺たちも混ざるかー」

「たまにはいいかもね。長曽祢さんも行く?」

「……ああ。もちろん」

 この時。
 おれは過去のしがらみを捨て去り、主の隣に在ることを、硬く固く誓ったのだった。