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	<title>DbD短編 &#8211; 揺れる</title>
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	<title>DbD短編 &#8211; 揺れる</title>
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		<title>劇場版Dead by Daylight -月下の遺訓-</title>
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		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 25 Jan 2023 12:51:21 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　どんなに大きな満月であろうと、その森の霧を晴らすことはできなかった。深く横たわる霧は夜風に乗って生き物のように周辺を彷徨い、蠢くように地面を撫でる。 　はあ、ひ、はっ、 　その中に、人間の息遣いが混じる。荒く不規則、足...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e5%8a%87%e5%a0%b4%e7%89%88dead-by-daylight-%e6%9c%88%e4%b8%8b%e3%81%ae%e9%81%ba%e8%a8%93/" title="続きを読む劇場版Dead by Daylight -月下の遺訓-">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　どんなに大きな満月であろうと、その森の霧を晴らすことはできなかった。深く横たわる霧は夜風に乗って生き物のように周辺を彷徨い、蠢くように地面を撫でる。</p>
<p>　はあ、ひ、はっ、</p>
<p>　その中に、人間の息遣いが混じる。荒く不規則、足音は重く、森の隙間を走り抜けるのは眼鏡をかけたナード風の青年であった。身につけた白いシャツはすっかり泥に塗れ、額に玉のような汗を浮かべながら必死の様相を呈していた。<br />
　時折背後を振り返りながら走り続け、やがて男は朽ちたレンガ壁の群れに行き着いた。男は壁の間に身を隠すと、口元に手をあてて自分が来た方向を確認する。<br />
　何も見えない。そもそも霧が邪魔をして視界が悪い。音は、木々の騒めきと、遠くで吠える獣の唸り声、それから飛び去ったカラスの羽音があるだけで――<br />
　カラス？<br />
　はっとする。ドクドクと心音が暴れている。男はレンガの壁を抜け、先程とは逆方向に走り出した。<br />
　瞬間、けたたましい音と共に激痛が走る。足にがっちりとトラバサミが食い込んでいた。男は呻きながら必死でそれを外そうとするが、重い鉄の刃は手のひらをも蹂躙する。</p>
<p>　やがて、それは姿を表した。</p>
<p>　黒いウェーダーを着た大男だった。右手には大きな肉切り包丁を携え、肩には捻じ曲がった鉄の棒がいくつも突き刺さっている。顔は、不気味な笑顔を模した白いマスクでうかがえない。<br />
　マスクの男はトラバサミにかかった「獲物」を担ぎ上げると、暴れる獲物をよそに一本の柱の前に立った。その柱には肉を吊り下げるための大きなフックが垂れ下がっている。<br />
　マスクの男は、躊躇いなく獲物をフックに突き刺し、その猟奇的な柱に吊るした。<br />
　森に絶叫が響き渡る。呼応するように周辺の霧がザワザワと動き出した。まるで、吊られた者を嘲笑い、喜んでいるかのようであった――</p>
<div style="height:100px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>「どうかお願いです、息子を見つけてください！」</p>
<p>　泣き腫らす婦人を、まぁまぁと諌めながらロバートは胸中で閉口していた。こういった依頼は昨日に引き続き三件目となる。同じように取り乱した人間を立て続けに眺めていると、同情も次第に「倦怠」となった。<br />
　ロバート・ブラウンは私立探偵である。40を幾つか超えた年齢でありながら、狭いアパートの一室を事務所とし、しがない失せ物探しや浮気調査でなんとか生計を立てて暮らしていた。世間一般から見ると彼の地位は決して高くはなく、家賃や生活費を賄うには細かな仕事でも引き受けるよりほかないほど、彼の暮らしは困窮していた。<br />
　それらを考慮すれば今回の依頼人はみな金払いもよく、引き受ければ前金も弾むというあたり、ロバートにとってまたとない飯の種であった。だが彼の長年の経験からして、滅多にない金払いのよい事件が立て込む時は往々にして莫大な労力を要するものである。<br />
　だが。<br />
　ロバートは、テーブルの上に置かれた新聞に目を向ける。畳まれた紙面の隅に、小さい見出しで「謎の失踪相次ぐ？」の文字が見えた。</p>
<p>「分かりました」</p>
<p>　言い放つと、婦人はようやくハンカチから顔を上げた。</p>
<p>「息子さんは必ず見つけ出します。……前金をいただければ」</p>
<p>「……！　ありがとうございます、本当に……」</p>
<p>　婦人はまた涙を流しながら、繰り返し繰り返し謝辞を述べていた。</p>
<p>　情が湧いたわけではない。ロバートには、ある目的があった。長年追い求めてきた目的が。そのためならどんな手段も使うと誓った。それが、彼に残された唯一の正義であった。</p>
<p>　夫人が帰るのを見届けて、ロバートは古びた皮のコートを羽織って外に出た。<br />
　ロバートは金に執着していないが、目的を果たすためには金が要る。ならば今回のこの騒動、手際良く解決していけば、しばらくは気乗りのしない依頼を受ける必要もなくなるだろう。<br />
　この街、スモークウッドは、特別に目立つところはない。平野部に位置し、山はあれど険しくなく、付近を流れる川は下流で穏やかである。主要駅周辺はそれなりに栄えているが、郊外へ行くほど人気がなくなり、大きな観光名所があるでもなければ、著名人の出自があるわけでもない。よく言えば閑静、悪く言えば田舎と表現できた。<br />
　その中でロバートが取った調査方法は、一番効果的且つ安上がりな「聞き込み」である。人の噂話ほど、迅速で、広がりやすいものはない。狭い街であればなおのことだ。その分正確性は欠くが、真実かどうかは後で自力で調べれば良い。手掛かりの少ないうちは微細な情報でも必要だ。<br />
　そういった噂話が最も行き交うのが、昼間のカフェである。この時間帯のメイン客は主婦であり、主婦とはいつの世も噂が好きだ。しかもこの街では珍しい大きな事件ともあれば話さない者の方が少ない。わざわざ人を尋ねて足腰を使うよりも効率的といえる。<br />
　午後に差し掛かる日差しの中、ロバートは手近なチェーン店の中に入る。人は多くも少なくもなく、さして待たずに席に着くことができた。コーヒーを1杯注文すると、ロバートは早速メモ帳を広げる。</p>
<p>「……昨日……中央で……」</p>
<p>「天気……明日は雨……」</p>
<p>「……娘夫婦が……」</p>
<p>　交わされる言葉の一つ一つを確実に聞き取りながら、ロバートは紙にペンを走らせていく。<br />
　走らせながら、ふと違和感を覚える。内容のほとんどは日常的なものしかない。無名と言っていい私立探偵に探し人の依頼が三件。新聞にも失踪に関連する記事がここ1ヶ月微増傾向にある。多少なりとも噂話が出てもおかしくない。なのに、このカフェでそれらに関連する会話がなされていないのである。</p>
<p>（事は、おれが思っているより深刻ではないのか）</p>
<p>　それならばこれ以上留まる理由がない。くたびれたコートを着た男がコーヒー1杯で粘るのにも限界がある。<br />
　ロバートは荷物をまとめると、次なる調査方法を考えながら席を立ち――</p>
<div style="height:80px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>「エンティティ様」</p>
<div style="height:80px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　はっと周囲を見渡した。客は相変わらず、他愛のない日常的な会話をする者ばかりだった。</p>
<div style="height:100px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　エンティティ<br />
　存在、実在、実体を意味する概念的な単語。主にIT関連で使われることが多い。ITで使われる場合は以下の――</p>
<p>　そこまで読んで、ロバートはマウスのスクロールを止めた。これ以降は必要な内容ではない。<br />
　あの奇妙な言葉を聞いたのち、ロバートは市立図書館のパソコンを使って意味を調べていた。だが、出てくるのは「単語」としての意味ばかりで、それ以上の情報はなかった。<br />
　声は、「様」と言っていた。<br />
　明らかに人物名である。それも地位が高く、人望がある者の。<br />
　おそらくなにかの団体に所属している者と推測できるのだが、エンティティという言葉でその団体を特定することができない。探し方が悪いのか、それとも見落としがあるのか――そこまで考えて、ロバートは画面から目を逸らし、イスの背もたれに寄りかかる。<br />
　なにをこんなに一生懸命になっているんだ。事件とは関係がないし、そもそも空耳かもしれない。調べても出てこないというならその可能性のほうが高いだろう。<br />
　もっと事件に関連性のある事柄を、とロバートが姿勢を正したところで、ギシ、と背後で何かが軋む音がした。<br />
　振り返ると、黒人の警官が一人、柱にもたれながら立っている。温和そうな顔つきをしているが、その目つきは鋭く、威圧感さえ覚えるほどだ。</p>
<p>「ロバート。また怪しい事件に首を突っ込んでいるのか？」</p>
<p>　咎めるような口調に、ロバートは視線を下げた。その隙に、パソコンで開いていたページを閉じる。</p>
<p>「……また、って何だ。まるでいつも首を突っ込んでるような言い方をするじゃないか」</p>
<p>「いつもだろう。出どころの分からない噂話や都市伝説までしつこく調べて、お前こそ近隣で噂になってる」</p>
<p>「それが探偵の仕事なんだ。放っておいてくれ」</p>
<p>　ジョンは、ロバートの頑なな態度に肩をすくめ、一度言葉を切る。<br />
　彼は警察官時代の元同僚である。同時期に採用された縁から何かと行動を共にすることが多く、ロバートの気質も彼のよく知るところであった。それによれば、ロバートは本来真面目で努力家、関わった事件はどんな小さなものであっても真摯に取り組むのが彼の性格であった。<br />
　あの事件が起きるまでは。</p>
<p>「……あまり余計なことをしていると、やっかいな事件に巻き込まれるぞ」</p>
<p>「調べがいがあるな」</p>
<p>　ロバートの目に諦めの色など微塵もない。ジョンは小さくため息をついて、踵を返す。</p>
<p>「――エンティティ」</p>
<p>　ロバートは振り返る。</p>
<p>「そういうものを、崇拝している奴らがいる」</p>
<p>　それだけ言うと、ジョンは静かに歩き去った。図書館には静寂が戻り、まるで隔絶されたような感覚に陥る。<br />
　もう一度、パソコンで検索サイトを立ち上げた。<br />
　検索ボックスに『エンティティ』と打ち込み、エンターキーを押す。表示されるのは先程と同じ検索結果。そこへ、『様』を付けてもう一度検索をかけた。</p>
<div style="height:80px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　――エンティティ様の啓示<br />
　――肉体の解放<br />
　――存在への交信</p>
<div style="height:80px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　死後、我々は『霧の森』へ導かれる！</p>
<div style="height:80px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　――なぜ、ジョンがこのことを伝えてくれたのかは分からない。長い付き合い故の誼か、それとも落ちぶれた自分への同情か。いずれにしろ、今現在も警官であるジョンがくれた情報ならば確実性がある。<br />
　『エンティティ様』を崇拝する団体がいる。<br />
　一連の失踪事件に絡んでいるかどうかまでは不明だが、ロバートにはただの偶然だと思うことはできなかった。</p>
<p>　もう一度画面を見る。</p>
<p>　『エンティティ様』を讃えるページには、蜘蛛の足をまるでリースのように組み合わせたシンボルが浮かんでいた。</p>
<div style="height:100px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　ホコリだらけの車を走らせ、中央から少し外れた郊外へ向かう。道路は空いており、進むにつれ人の気配も徐々に薄くなる。時刻は夕方、車窓から差し込む夕日に少しだけ目を細めた。<br />
　昨日訪れた依頼人うちの一人、ベティ・メイヒューに会う約束を取り付けたのは、図書館の一件の後である。急な連絡だったが、息子の手がかりが得られるのならと快諾してくれた。<br />
　年齢は四十代、十三才になる一人息子を探して欲しいとのことだった。名前はグレン。数年前に父親を病気で亡くしてから、内気がちで友人もおらず、学校から帰るときも真っ直ぐ帰宅するのだという。グレンの写真も預かっており、それは手帳のページに挟んでいる。デニムのオーバーオールを着た小柄な少年だった。失踪当時と同じ服装だということで渡されたものだ。<br />
　ロバートは、不審に思っていたことがある。<br />
　事務所を訪れたときの夫人の様子だった。夫も亡くし、たった一人の息子が行方不明になったその胸中はおよそ推し量れるものではない。<br />
　しかし、彼女は『取り乱しすぎていた』のだ。<br />
　彼女の前に訪れた依頼人は落ち込んでこそいたものの、失踪してから時が経っているのもあってかこんなふうに取り乱したり、泣き喚いたりはしなかった。なぜメイヒュー夫人だけがあそこまで感情を露わにしたのか。それを確かめねばならない。</p>
<p>　――このタイミングで『エンティティ』の名を聞いたことには、きっとわけがある。</p>
<p>　ロバートはそう睨んでいた。</p>
<p>　陽が沈みかけたころに、メイヒュー夫人の家へたどり着いた。周囲はよくある田舎街の風景で、大きくも小さくもない家が等間隔に並んでいる。時間帯もあってか人通りもない。路上に車を止めて呼び鈴を押すと、数分あってメイヒュー夫人が顔を出した。</p>
<p>「ブラウンさん。お待ちしておりました。どうぞ」</p>
<p>　憔悴しきった顔。声のトーンも低く、視線は下がちである。夫人に続いて家に入るとまずリビングに通された。ソファに座るよう促され腰を落ち着けると、夫人はお茶を淹れてきますとキッチンへ引っ込んだ。</p>
<p>（荒れているな）</p>
<p>　部屋の第一印象はそれだった。あちこちに物が散乱し、本や雑誌が積み上がっている。キッチンも片付けができていないようだった。忙しいからか、心配のあまり気が回らないのか、あるいはそのどちらもか。<br />
　テーブルの上には大きなスクラップ帳が置かれていた。盗み見ると、行方不明者情報の切り抜きと、それから――</p>
<p>「それで、お話というのは……」</p>
<p>　ロバートは慌ててスクラップ帳を戻す。</p>
<p>「あ、ええ、少し質問したいことが出てきましてね」</p>
<p>　持ってきたビジネスバッグから手帳を取り出し、ページを開いた。</p>
<p>「お子さんのことですが、いなくなった時の様子をもう少し詳しく教えていただけませんか？なにか変わったことなど」</p>
<p>　メイヒュー夫人はスクラップ帳をどけると、カップを差し出してロバートの正面に座る。</p>
<p>「いえ、変わった様子などはありませんでした。朝はいつもの時間に起き、同じ時間に家を出て……学校でも、普段どおりに授業を受けていたそうです」</p>
<p>「では、あなた自身になにか変わったことなどは」</p>
<p>「いいえ……息子を送り出した後はドラッグストアでパートに出ていますが、なにも特別なことは」</p>
<p>　ロバートはページをめくり、失踪当時の出来事を確かめる。<br />
　グレンがいなくなったとされるのは、午後三時過ぎの下校時間である。クラブ活動や習い事をしていないので、いつもは学校が終わったらそのまま帰宅し、その後は部屋にこもりきりなのだという。<br />
　夫人がパートから帰るの午後四時半ごろ。帰ってくるとまずグレンの部屋をノックするのだが返事がなく、ドアを開けると姿がなかった。カバンがないので帰ってきた様子はない。そこから学校に電話をしたところすでに下校したと聞き、失踪したことが判明した。</p>
<p>「きっと、なにかの事件に巻き込まれたのです」</p>
<p>　夫人の目尻に、次第に涙が浮かぶ。</p>
<p>「おとなしい子なんです。自分から危険な場所に飛び込むなんてことはありませんから、きっと」</p>
<p>「警察は、どういった見解で？」</p>
<p>「……事件と事故、両方の可能性を追っていると。けれど、目撃情報がないのです。学校から出たところを見た人はクラスメート含めて何人かいたようですが、その後は全く情報がありません。私も近所の方に聞いて回っていますが、息子を見かけた人はいませんでした」</p>
<p>　ふむ、と唸ってからロバートは今の情報を手帳に書き込んだ。目撃情報がない、ということはやはり下校中に何かが起こったとしか考えられない。だが事件であれば不審者情報もひとつでも出そうものだが、ロバートが調べた時も、今の夫人の言葉にも上がらなかった。そうなると事故の線が強いと言える。<br />
　しかし。</p>
<p>「すみませんが、夫人。息子さんのお部屋を見せていただくことは可能ですか」</p>
<p>「え、ええ。もちろんですわ」</p>
<p>　席を立ち、夫人を先頭に二階へ上がる。狭い廊下の突き当たりに、飾り気のないネームプレートがかかった部屋があった。夫人はドアノブを捻ると、ロバートを促した。</p>
<p>「こちらが息子の部屋です。いなくなった時そのままの状態にしてあります」</p>
<p>　見たところ、年ごろの少年の部屋にしてはやや物が少なく感じるが、掃除の行き届いたまめな性格とも取れる。つまりはなんの変哲もない、ごく普通の部屋だった。<br />
　勉強机を見る。教科書やノートが机上に重ねられているが、煩雑とした様子はなく、鉛筆もペン立てに全て収まっている。おそらく宇宙が好きなのだろう、宇宙船や宇宙飛行士などの絵が描かれたものが多い。ベッドにも似たデザインの布団がかけられている。壁にはグレンが描いたと思しき絵や、ベッドサイド上には木工の工作品が飾られていた。どこかの風景の絵や車の模型。素人目にも上手いと感じた。<br />
　その隣にはクローゼットと、それから腰ほどの高さのタンスがひとつ備え付けられていた。</p>
<p>「――写真を撮っても？」</p>
<p>　振り向きざまに告げると夫人はびくりと肩を震わせたが、「はい、いいですよ」と返事をした。</p>
<p>「おっと、1階にカメラを置き忘れたな。申し訳ないですが、私のカメラを取ってきてもらってもいいですか？鞄の中にありますので」</p>
<p>　夫人は少し顔をしかめたが、分かりましたと部屋を出て行く。その足音が階下に向かったところで、ロバートは素早くタンスに手をかけた。<br />
　このタンスだけデザインが浮いているのだ。宇宙で纏められた室内には合わない。古めかしく、飾り気のない木製のタンス。おまけに、絨毯がよれていことから動かした形跡がある。<br />
　何があるのか、そもそも失踪に関係があるかは分からない。だが、見ておかねばならない。刑事としてのカンが告げている。<br />
　タンスは、中身があまり入っていないらしくすぐに動かすことができた。なるべく音を立てず、慎重に横へずらした。<br />
　露出する壁面。そこには。</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　蜘蛛の足をリース状に重ねたような、<ruby><rb>引っ掻き傷</rb><rp>（</rp><rt>スクラッチ・マーク</rt><rp>）</rp></ruby>が描かれていた。</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　ぎしり。</p>
<p>　背後で何かが軋む音がした。しかし何もない。自分が慣らしたのだと気づき、息をつく。と同時に、階段を登る足音が聞こえてきた。ロバートはタンスを元に戻し、姿勢を正して夫人を待った。</p>
<p>「カメラ、こちらでよろしかったですか」</p>
<p>　夫人がにこやかにカメラを手渡してくる。<br />
　不意に、人間の皮を剥いで自らの仮面とする殺人鬼の話を思い出した。</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　すっかりと陽が落ち、辺りは濃紺に染まっていた。遠目では人の顔の判別もつかないほど薄暗い。人通りもほとんどなく、夜特有の静寂に包まれていた。<br />
　撮影を済ませた後、車に戻ったロバートは運転席に沈み込んだ。懐を探ってタバコを取り出し、火を付ける。</p>
<p>（これで、少なくともこの一件はエンティティとかいうものが絡んでるのが明らかになった）</p>
<p>　だとすれば夫人があれほどまでに狼狽えていた理由も分かる。自分が信じていた宗教のせいで一人息子が消えたのだとするなら、警察はもちろん他所者の探偵にだって真実を話すことはできないだろう。<br />
　しかし、引っかかる。なぜ宗教がその息子を隠したのか。特に金持ちというわけでもないし、あのマークの隠しようから息子はそもそも信者ではない。<br />
　――汗が、喉元を滑り落ちた。<br />
　誰も知らない宗教。行方不明者。狼狽える女。<br />
　思い出せ。図書館のパソコンで調べた時、何が書かれていた？<br />
　啓示。肉体の解放――死後。</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　生贄だ。</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　「！！！」</p>
<p>　車のボンネットに何かが滑り込んだ。黒い丸い物体。ちょうど人の頭と同じ大きさの。<br />
　驚いて、しかしタバコの煙で咽せて咳き込んでいると、丸い物体はひょいと動いてドアガラスを覗き込んできた。<br />
　少女であった。黒く長い髪をしており、そのせいで夜の闇に溶け込んでいたのだろう。れっきとした生きた人間だった。</p>
<p>「大丈夫？」</p>
<p>　窓を開けると、少女は心配そうに――端に笑みをこぼしながら――ロバートを見ている。</p>
<p>「大丈夫だ、ちょっと驚いただけで」</p>
<p>「ちょっと、に見えないわ。まるで殺人鬼にでも会ったみたいな顔してたもの」</p>
<p>　殺人鬼、の言葉に喉が詰まる。</p>
<p>「……子どもがそんなこと言うもんじゃない。おれは大丈夫だから、早く帰りな」</p>
<p>「ねえ、メイヒューさんちに用事？出てくるとこ見たの」</p>
<p>　よほど好奇心が強い娘なのだろう、目を輝かせながらずいと詰め寄ってきた。少々うんざりしながらタバコを灰皿に押し付ける。</p>
<p>「君には関係ないだろう」</p>
<p>「あるわよ。グレンとはクラスメイトだもの」</p>
<p>「なんだって？」</p>
<p>「あ、やっぱりグレンのことなのね」</p>
<p>「……」</p>
<p>「そんな顔しないで。グレンと友だちなのはほんとよ。だから、知ってること教えたげる」</p>
<p>　少女は悪びれることなく笑った。辟易する一方、これはチャンスだと判断する頭もあった。真実を話さない夫人から聞けることはもうないだろうが、グレンの様子を知る者がいるなら新しい情報もあるだろう。</p>
<p>「おじさん、名前は？」</p>
<p>「……ロバートだ」</p>
<p>「ロバートおじさんね。あたしメアリー。グレンのこと何が聞きたい？」</p>
<p>「そうだな……まず、グレンはどんな子だった？」</p>
<p>「すっごく大人しい子よ。あんまり喋らないけど、絵や工作がとっても上手なの。みたことある？」</p>
<p>「そういえば壁に絵がかけられていたな。確かに上手かった」</p>
<p>「でしょう？あたしグレンの作ったもの好きなの」</p>
<p>　本当に仲が良かったのか、グレンのことを話すメアリーはとても嬉しそうだった。</p>
<p>「学校で、特に変わった様子は？」</p>
<p>「なんにも。いなくなった日だっていつもといっしょだったわ。学校が終わったらすぐに帰っちゃったし。……あ、でも」</p>
<p>「でも？」</p>
<p>「なにか探しものがあるって言ってた気がするわ」</p>
<p>「それは本当か！？」</p>
<p>「ほんと」</p>
<p>「何を探してたんだ？」</p>
<p>「それはー……」</p>
<p>　なにかを思い出すふうに唸ったあと、急に、にこっと口角を上げた。</p>
<p>「あたしのお願い聞いてくれたら教えたげる」</p>
<p>　頭が痛くなった。</p>
<p>「……遊びじゃないんだ」</p>
<p>「そんなに難しいことじゃないわ。ちょっと着いてきて欲しいだけよ」</p>
<p>「どこへ？」</p>
<p>「お願いきいてくれる？」</p>
<p>　言葉が詰まった。おそらく数少ないと思われるグレンの友人が目の前におり、今までにない情報を持っている。次があるかどうかも分からない好機だ。だがそのために見ず知らずの子どものお願いを聞いてやる時間も余裕もない。事は一刻を争うに違いないのだ。</p>
<p>「どうする？」</p>
<p>　メアリーが首を傾げる。好奇心と期待に満ちた、屈託のない笑顔だった。<br />
　――ふと思い出してしまった。娘も今、このくらいの年齢になっていると。</p>
<p>「……仕方ない」</p>
<p>「ほんとう！？ありがとうおじさん！」</p>
<p>　メアリーはぴょんと飛び跳ねて、</p>
<p>「じゃあ明日！」</p>
<p>「……急だな」</p>
<p>「いいでしょう？明日、今日とおんなじ時間にここに来て。待ってるから！」</p>
<p>　ばいばい、と手を振ってメアリーは走り去って行く。その後ろ姿が曲がり角に消えていくのを見届けてから、深々と息を吐いた。<br />
　陽が落ちた空は雲が出始め、星も覆い隠されている。そういえば、カフェで明日は雨だという話を聞いた。</p>
<div style="height:100px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　――おとうさん！</p>
<p>　日が暮れだしたばかりの土手を、娘が楽しそうに駆けていく。時おりこちらを振り返っては、早く早くとせがんでいた。太陽を背に伸びた影が、飛んだり跳ねたり形を変えて土の道を彩っていくのを、ロバートは眩しそうに見つめていた。川のせせらぎと娘の笑い声が心地よく胸を撫ぜていく、これ以上の幸福はなかった。<br />
　8歳になる一人娘だった。屈託なくよく笑い、好奇心が旺盛だった。刑事の仕事でなかなか家に帰れないときも、写真や電話でよく励ましてくれた。かけがえのない宝だった。<br />
　それは一瞬だった。<br />
　そばにあったジューススタンドで飲み物を買ってくるから、と娘を待たせることにした。お気に入りのクマのぬいぐるみがあれば大人しく待てる子だった。ベンチに座らせて、それからジュースを買って戻った。娘の姿はなかった。クマのぬいぐるみが地面に落ちていた。ずっとお気に入りのぬいぐるみだった。それを放ってどこかへ行くなんてことはありえない。<br />
　それから4年。娘はまだ見つかっていない。</p>
<div style="height:80px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>「は、」</p>
<p>　起き上がって、大きく息を吸った。狭いアパート。散らかった部屋。物で溢れ返る机。――その隅に座るクマのぬいぐるみ。<br />
　あの日、放心するロバートのもとへ駆けつけてきたのはジョンだった。きっと誘拐されたんだ、彼はそう言った。その後のことはよく覚えていない。しかし、諸々の手続きやらをジョンが良いように取り計らってくれたということを後から知った。やがて妻が心を病み、自分の元から去ったときロバートはある決心をした。<br />
　娘を見つけ出す。何があっても、どんな事をしてでも、必ず。それがロバートに残された唯一の正義だった。</p>
<p>（あのメアリーという子が、娘を思い出させた）</p>
<p>　脂汗を拭い、枕元に置いてあった水を飲み干す。<br />
　容姿は違うが、娘も同じぐらいの年齢だ。学校に通っていればきっとこんなふうに好奇心を輝かせていたに違いない。人見知りもしないので友だちも多く出来たことだろう。だから余計に重なってしまった。</p>
<p>　メアリーは、娘に似ている。</p>
<p>　ロバートはベッドから降り、手早く着替えを済ませると上着を引っ掛けて外に出た。もうすぐメアリーとの約束の時間だ。今は目の前の目標をこなすことが先決である。この約束が済めばグレンの手掛かりが手に入り、そうすれば、失踪事件に関連するであろう『エンティティ』のことも分かるに違いない。</p>
<p>　昨日と同じ時間、同じ場所に車を走らせるとすでにメアリーが待っていた。はしゃぐメアリーを助手席に座らせ、行き先を尋ねると「廃坑よ」と告げた。</p>
<p>「廃坑？なんだってそんな場所に」</p>
<p>「あたしね、都市伝説がすきなの。おじさんは聞いたことない？廃車場の幽霊とか、沼の人食い少女とか」</p>
<p>　聞いたことがない、というと嘘になる。なぜならロバートは警官時代にその事件を知っているからだ。しかしそれらは事実ではなく、いずれも元あった事件を面白おかしく湾曲したような内容だった。<br />
　返事をどうしようか迷っていると、メアリーは気にもせずに地図を広げている。そして、あるページをロバートに開いて見せた。</p>
<p>「ここ。『マクミラン邸』よ。もうとっくに閉鎖されてるけど、肉切り包丁を持った大男が今も徘徊しているんですって……」</p>
<p>「バカな。そこは――」</p>
<p>　マクミラン邸。過去におぞましい大量殺人事件があった場所。そこで働いていた炭鉱夫およそ100人が坑道に生き埋めにされ、更に彼らの雇い主であるアーチー・マクミランが地下室で死体となって発見されたという未だ謎の多い事件が起きている場所である。<br />
　いや、そんなことはどうでもいい。</p>
<p>「そんな血生臭い事件なんて、子どもが調べるもんじゃない」</p>
<p>「いいじゃない、趣味なのよ」</p>
<p>「ああこれが博物館行きだったら喜んで行くさ。だが君がやろうとしているのはたちの悪いイタズラ、おまけに不法侵入だ」</p>
<p>「じゃあやめる？」</p>
<p>　ぐ、と喉が詰まる。</p>
<p>「……入り口までだ」</p>
<p>「ありがとうおじさん！」</p>
<p>　深く息を吐いた。</p>
<p>　車は暮れなずむ住宅街を抜け、徐々に郊外へと走る。家の数が減っていき、景色は山がちとなっていった。</p>
<p>「メイヒューさんちのこと、どのくらい知ってる？」</p>
<p>　それまで景色を眺めていたメアリーが、不意に言った。その物言いはどこか引っかかる、と思いながらも「大して知らない」と答えた。</p>
<p>「メイヒューさんね、昔はあんなじゃなかったの」</p>
<p>「……どういうことだ？」</p>
<p>「グレンのおとうさんが死んじゃってから、メイヒューさん、変な宗教の話するようになったの」</p>
<p>　脳裏を、記憶が駆け巡る。図書館で調べたあのページ。グレンの部屋に刻まれた、蜘蛛の足のシンボルマーク。ジョンの言葉。「信仰している奴らがいる」。</p>
<p>「どんな話だったか覚えているか？」</p>
<p>「うーんと……生き返り？とか、イケニエ、とか。なんのことかよく分からなかったけど」</p>
<p>「その宗教の名前とか、聞いていないか」</p>
<p>「なんだったかしら……そう、『霧の森』って言ったわ」</p>
<p>　――死後、我々は『霧の森』に誘われる！</p>
<p>　これで、ようやく点が線で繋がった。<br />
　ベティ・メイヒューはやはり『エンティティ』を信仰している。恐らくは亡くした夫を蘇らせるために『霧の森』に入ったのだろう。であれば、グレンは生贄だ。隠されたシンボルマークがそれを意味しているとするなら、グレンは『霧の森』の奴らが誘拐したのだろう。ではなぜベティが捜索依頼を？そこがまだ引っかかるが――</p>
<p>「もうそろそろよ」</p>
<p>　いや、今は『霧の森』を追うことだけ考えればいい。ともすればこの失踪事件に娘が関わっているかもしれない。まずは解決すること、それが先決だ。<br />
　居住まいを正し、ロバートは山道に入る。時刻は夕方をとうに過ぎ、青白く浮かび上がる夜となっていた。狭い山道をしばらく進むと、ボロボロに朽ちた看板に行き当たった。</p>
<p>「マクミラン・エステート……ここだわ」</p>
<p>　ロバートは車を止めた。<br />
　懐中電灯を持って車を降り、助手席のドアを開けてやるとメアリーがぴょんと飛び降りた。</p>
<p>「ねえ見て！鉄格子よ」</p>
<p>　枝に隠れてよく見えなかったが、ロバートの背丈すらもゆうに超える大きな鉄格子が立っていた。長年入り口を塞いでいるのだろう、錆びた太い鎖が幾重にも巻き付いていた。</p>
<p>「すごいわ、こっちもぼろぼろ。この奥が炭鉱かしら」</p>
<p>　背を伸ばしたりかがんだりして、メアリーはなんとか奥を覗こうと必死になっている。</p>
<p>「約束だ。入り口までだぞ」</p>
<p>「もうちょっと、もうちょっとだけ！」</p>
<p>「こんな時間なんだ、これ以上は君の親御さんになんて説明すればいいか分からない」</p>
<p>「構いやしないわ。親なんていないもの」</p>
<p>「は――」</p>
<p>「あ！ここ、見て！穴があるわ！」</p>
<p>「おい、メアリー！」</p>
<p>「ちょっとだけ中を見てくるわね！」</p>
<p>「メアリー！！待て！！」</p>
<p>　静止する声も振り切り、メアリーは鉄格子の隙間にするりと体を滑らせ、暗闇の中に入り込んでしまう。慌てて後を追うも、ロバートの体ではこの穴をくぐれない。がしゃん、と鉄格子を握る音だけが鳴り響いた。</p>
<p>（さっき、彼女はなんて言った？メアリー、親がいない？）</p>
<p>　孤児ということだろうか。それでも学校に通っている以上は施設で暮らしているはずだ。その、施設すらもメアリーを気にかけていないのか？その上友人のグレンまで失って？<br />
　メアリー、メアリーは、娘に似ているのに、</p>
<p>（追いかけよう）</p>
<p>　ロバートは鉄格子を掴み、何度か揺らしてみる。すると何本かの格子が錆びて脆くなっていることに気づいた。躊躇なく、ロバートは格子を蹴り壊す。派手な音を立てて格子が倒れ、なんとか潜れそうな隙間ができた。懐中電灯を構えて奥に進んだ。<br />
　中は荒れていた。最近人が立ち入った様子もほとんどなく、足元はぬかるんで歩きにくい。しかしそのためか、今しがた付いたばかりの小さな足跡が点々としている。これを辿って行けば間違いはない。<br />
　木々はより鬱蒼とし、明かりがなければ自分の手のひらも見えない。幾分か進んだところでぽつ、と鼻先に雫が滴った。いよいよ雨が降ってきたらしい。酷くならないうちにメアリーを見つけなければ。<br />
　かろうじて道と言えるものを進んでいると、やがて開けた場所に出た。そこには一軒の家屋があった。いや、これこそ坑道の入り口だろうか。朽ちかけた木造の建物はトンネルのように構え、周囲には石炭が積み込まれたままのトロッコが散在している。建物の背後には掘り出した石炭を運ぶのだろう大きな昇降機がそびえ立っていた。いずれも人の気配はない。しかし、足跡はここで途絶えている。この建物にメアリーが入り込んだ可能性はあるだろう。ロバートは辺りを慎重に照らしながら、建物に入る。<br />
　坑道の入り口を守るためのもの、それ以上の役割がないためか奥行きはなく、すぐ地下への道に行きあたった。懐中電灯で奥を照らすも、道が曲がりくねっており光が届かない。入ってみるほか確認する術はないだろう。<br />
　喉を鳴らし、足を踏み入れる。冷たく湿った風が足を撫で、背筋を凍らせた。螺旋階段のように掘られた道を進んでいると、やがて幾許か明るい、広い空間に出た。<br />
　異様な光景だった。<br />
　空間は一つの部屋のように板張りがなされ、床には大量の蝋燭がひしめいている。そのいくつかにはまだ火が灯っているようで、心許ない光を揺らがせていた。そして、何より異様なのは部屋の中央にあった。<br />
　金属製の太い柱があった。それは天井付近で四方に枝分かれ、折れ曲がった先には大きなフックがぶら下がっている。まるで、肉をぶら下げるためのような。<br />
　目眩がした。<br />
　その拍子に壁に手をついたとき、ざらりとした感触に慌てて手を引っ込める。明かりで照らせば、そこには、無数のスクラッチマークが、蜘蛛の足のように描かれていたのだった。<br />
　喉がひりつき、胃の中から何かが込み上げる。生唾を呑んで押し留め、したくもない推測が立ちあがった。<br />
　ここは『霧の森』の儀式場。ここで犠牲者を殺し、生贄にするためのものだ。その先はもちろん、主である『エンティティ』に。</p>
<p>　――、</p>
<p>　上から複数人の足音が聞こえた。まずい、と慌てて当たりを見回し、咄嗟に反対側の通路に身を隠した。幸いにも岩が突き出ており、屈めば全身が収まりそうだ。明かりを消して息を殺す。<br />
　やがて、3人の人影が降りてきた。彼らは全身を黒いローブで包んでいたが、頭だけはそれぞれ意匠の違う奇妙なマスクを被っていた。木でできた仮面、動物の頭蓋骨、不気味な笑顔を模したマスク。間違いなく『霧の森』の信者だろう。<br />
　そのうちの一人は、なにか荷物のようなものを肩に抱えている。目を凝らして、心臓が鳴った。<br />
　メアリーだった。<br />
　ぴくりとも動かない。死んでいるようにも眠っているようにも見える。じっとりと汗が噴き出した。それなのに体は動かず視線は釘付けになった。<br />
　信者たちは何語ともつかない言葉を発しながら大きく手を振り、言葉が途切れると肩のメアリーを担ぎ下ろした。その瞬間、メアリーがかっと目を見開き、恐怖に満ちた表情でなにか叫ぼうとして、そして。</p>
<p>「ああああああああああああああああ！！！！」</p>
<p>　絶叫が、坑道に響き渡る。びりびりと鼓膜を震わせて脳を揺さぶった。メアリーは、体に突き立てられたフックから逃げようともがいている。短い悲鳴が喉から漏れ出、体がしなる度にぼとぼとと血が滴った。鉄のような生臭さが部屋に充満していく。</p>
<p>（逃げなければ、）</p>
<p>　奴らはまだこちらに気づいていない。逃げるなら今だ。ロバートは徐々に後退って</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>「また置いていくの」</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　がちゃん、と派手な音を立てて懐中電灯が地面を転がった。すぐさま信者たちがこちらを向く。ロバートはなりふり構わずに走り出した。とにかく奥へ、地上へ、奴らから逃れなければ、背後から足音がする、うるさい、異臭がする、湿った風が、なぜこんな、苦しい、息が、早く、早く！！</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　そのとき一筋の光が目に入った。</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>「っは、は、――」</p>
<p>　焚き火が、あった。<br />
　そばには切り出された丸太が一本、イスのように横たわっている。しかし人の気配はない。なぜこんな場所にと訝りつつも、この薄暗い森で灯った光は少なからずロバートを安心させた。出てきた坑道の穴を振り返り、足音が聞こえてこないことを確認すると、ゆっくりと丸太に腰掛けた。雨もいつの間にか止んでおり、焚き火がぱちぱちと鳴るだけの静かな景色だった。<br />
　――また置いていくの<br />
　あの時、声がすぐ側で聞こえた。メアリーのものではない、少女の声。聞き覚えがない。いや、あるかもしれない。どこだったか、確か、警察官時代に聞いたような気がした。思い出せない。思い出せないのに、なぜか胸の奥がざわついている。また、と、置いていく、という言葉も気にかかった。まるでこれまでにも誰かを見捨てたことがあるような、そしてそれを知っているかのような。<br />
　深く息を吸い、吐き出した。<br />
　夜霧で肺を満たすと、幾分か頭が冴えてくる。そんなことよりも、今はここを抜け出すことが先決だ。幸運にも『霧の森』の居所も突き止めることができた。この情報を持ち帰り、ジョンや馴染みの警官に経緯を説明すれば動いてくれるだろう。今までの行方不明者――犠牲者も、きっとこれに結びつくはずだ。いなくなった娘のことも、何か分かるかもしれない。<br />
　ふっと脳裏にメアリーの姿が過ぎる。もしや娘もあのように。<br />
　いや、とロバートは首を振った。そうと決まったわけじゃない。だいたい自分はそんな宗教のことなど知らないのだ。何にでも関連付けていてはきりがない。</p>
<p>　カァ　カァ</p>
<p>　ぎくりと肩が跳ねる。ふと気づくと一羽のカラスがそばにいた。まるでこちらを窺うようにじっと見つめたあと、カァと短く鳴いて飛び去って去ってしまう。</p>
<p>「ま、待ってくれ！」</p>
<p>　一人きりの森で初めて出会った生き物を追いかけたい気持ちになった。ロバートはカラスが飛んで行った方向に向かって走りだす。徐々に霧が濃くなっていく。それでも薄暗い森を懸命に走った。<br />
　走って、走って、どのぐらい進んだか分からなくなった頃、なにかの物音を聞いた。走るのをやめ、音に向かって歩き出す。それは、何かの機械音のようだった。ガチャガチャという無機質な金属音。森の中とは似つかわしくないそれに訝っていると、木々の途切れ間に音の出処を見つけた。<br />
　そこには、車のエンジンよりも一回り以上大きな発電機のようなものと、それを一心に操作している一人の若い男がいた。無造作に伸びた黒髪、くたびれた緑色のパーカーからはまるで世捨て人のような雰囲気をまとっていた。<br />
　突然として現れた見知らぬ光景に呆然と立ち尽くす。すると男性がくるりとこちらを向いた。</p>
<p>「おい、あんた。手伝ってくれよ」</p>
<p>　もしや彼も『霧の森』の関係者か。<br />
　そう思うと上手く声が出せない。しかし、男はなにか思い当たったようにああと言った。</p>
<p>「『新入り』か。成る程な」</p>
<p>「……新入り？」</p>
<p>「この森に来るのが初めてなんだろう。ルールもよく分かってなさそうだしな」</p>
<p>「ルール……？さっきから何の話をしているんだ、ここはマクミラン邸の鉱山じゃないのか！？」</p>
<p>「おい、おっさん」</p>
<p>　男がロバートを睨みつける。その表情からは、怒りと、焦りのようなものが伺えた。</p>
<p>「あんただってここから脱出したいだろ。そのためには、嫌でも、ワケが分からなくても、手伝わなきゃいけないんだ」</p>
<p>「何のために……」</p>
<p>　そう問いかけると、男は忌々しそうに吐き捨てた。</p>
<p>「エンティティ」</p>
<p>　ぞわり。<br />
　肌が粟立った。<br />
　その瞬間にロバートは自身の心臓がどくどくと脈打ち出したのを感じた。徐々に、徐々に、鼓動が大きくなっていく。一体、なんだ。この感覚は。まるで腹の底が振動しているかのようだ。じっとりと背中が汗ばんでいき、ある感情が湧き出すのを感じる。<br />
　それはまさしく、純然たる『恐怖』だった。</p>
<p>「何してる、早く隠れろ！」</p>
<p>　男に腕を引かれ、ロバートは近くの物陰に身を潜める。それは建物の跡のような、朽ちたレンガの壁だった。暴れる心音を無理やり落ち着けて息を潜める。<br />
　やがて、それは姿を現した。<br />
　体躯はまだ子どものように小さい。しかしひどく痩せこけており、顔はまるで老人のように枯れ果てている。精気のない目は落ち窪んで、半開きの口からはひゅうひゅうと空気が掠れたような音を立てていた。そして、片手には木工で使うような大きなノコギリ、左手で何かを肩に抱えながらゆっくりと歩いている。<br />
　抱えられていたのは、人間だった。<br />
　女性のものらしいうめき声を上げながら手足をばたつかせている。しかし老いた少年にふらつく様子はない。自分より大きな人間を運んでいるのにも関わらず、確実に地面を踏んでいる。<br />
　ずる、ずる、とゆっくり歩んでいた足は、やがてぴたりとある場所で止まる。そこには金属製の柱が一本。その先に、肉を吊り下げるためのフックがぶら下がっていた。<br />
　ロバートは思い出す。これは炭鉱の地下で見たものと同じだと。<br />
　女性がフックに吊り下げられ、耳を塞ぎたくなるような絶叫がこだまする。そのとき――奇妙なことが起きた。</p>
<p>　ぎし、ぱき、</p>
<p>　どこからか、関節を鳴らすようなクラック音がした。次第に音は大きくなり、霧の隙間からなにか燃えるような光が走ったかと思うと、ぬうと形を作って現れた。<br />
　黒く光る、巨大な蜘蛛の脚。それが、まるで鎌にように振り下ろされ、吊り下げられていた女性の腹に深々と突き刺さる。悲鳴もない。ぐちゃ、と肉を割った音がしたかと思うと、女性の体は蜘蛛の脚に運ばれて天に消えていき、重しをなくしたフックはガコンと地に落ちる。<br />
　現実のものとは思えなかった。呼吸すらままならない。夢ではないのか。だとすればひどい悪夢だ。こんな夢なら早く目覚め、一刻も早く、この病的な悪夢から逃れなくてはならない。気づくと一緒に隠れた男もいつの間にかいなくなっている。自分も早くここから離れなければ。<br />
　じり、と後ずさった足が砂を踏んだ。</p>
<p>　――カァ！</p>
<p>　カラスの羽撃き。心臓が跳ね上がる。老いた少年がこちらを向いた。<br />
　ロバートは、一目散に走り出した。少年が唸り声を上げながら追いかけてくるのが分かった。<br />
　何故。何故。何故。<br />
　頭の中にはその言葉だけがループする。<br />
　月明かり、照らし出されたあの少年が来ていた服は、『グレン・メイヒューと全く同じだった』。</p>
<p>「おじさーん」</p>
<p>　足が止まりかけた。声は、その声は。</p>
<p>（メアリー……？）</p>
<p>「おじさん、来てくれたのね」</p>
<p>　間違いない。あの少年の方向からメアリーの声がしている。信じがたい。しかし。</p>
<p>「約束だから教えたげる。グレンのこと」</p>
<p>　ロバートはなお森の隙間を走った。</p>
<p>「グレンはね、あたしなのよ。いつもはグレンのなかにあたしがいてね、グレンが、わーってなったときにあたしが出てくるの」</p>
<p>　ほんの少し背後を振り返ったが、またすぐに前を向く。</p>
<p>「わーっていうのは、グレンのお母さんがグレンにひどいことしたときね。おとうさんが死んじゃったのはグレンのせいじゃないのに、かわいそうなグレン」</p>
<p>　ロバートは足を止めた。目の前に壁がある。分厚いレンガの壁が、森を横断するように聳え立っていた。なんとか登れないかと手をかけてみるが表面はどこも平らだった。切れ目を探す方が早い、と壁沿いに走り出そうとした。</p>
<p>「いなくなってから大事だったことに気づいたって、無意味なのよね」</p>
<p>　目の前にメアリーがいる。入り口で別れたときと何一つ変わらない様子で、にこにこと笑っている。足は凍ったように動かない。</p>
<p>「ねえ、おじさんもあったんでしょ？大事なもの」</p>
<p>「何故それを、」</p>
<p>「この森ね、すっごく不思議でおもしろいのよ。ここにいたら色んな力がもらえるの。グレンも強くしてもらえたし、あたしもね。だからおじさんのことだって分かるの」</p>
<p>「おれは」</p>
<p>「ねえ。どうしてあのとき、置いていったの？」</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　――おとうさん！</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　記憶が蘇る。</p>
<p>　日が暮れたばかりの道、土手を走る娘、笑い声、何よりも大事な、娘は、</p>
<p>　娘がいなくなった。</p>
<p>　ほんの一瞬目を離しただけだった。連日の徹夜でぼんやりしていた。いつの間にか声が途絶えていた。お気に入りのクマのぬいぐるみが川縁に落ちていた。拾い上げて川を覗いた。飛沫を上げて流れる川に娘がいた。どんどん流されていった。声も出なかった。それなのに、己の中に培われた刑事がこんなにもはっきりと告げている。</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　あれはもう助からない</p>
<div style="height:80px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　バツン！</p>
<p>　何かの機械音と共に周囲がほの明るくなる。その瞬間にロバートは走り出した。数秒遅れてメアリーが動き出したのも分かった。背後の気配がグレンのものに変わり、しゃがれた唸り声を上げながらノコギリを引きずって追いかけている。<br />
　やがてロバートの進路上に瓦礫の山が見えた。石炭やドラム缶などが雑多に積み上がっており、その中に木製の大きなパレットが立て掛けてあるのが見えた。そこに飛び込み、振り向きざまにパレットを引き倒した。差し迫っていたグレンにぶつかり、グレンは何かを叫びながら立ちすくむ。その隙にロバートは更に走った。すると、見覚えのある木造建築に行き着いた。坑道の入り口だった。躊躇する暇などない。入り込んで、中に積まれた石炭の山の影に身を隠した。<br />
　息を殺しているとグレンの唸り声が聞こえてくる。しばらく周辺をさまよい歩いていたようだったが、次第に気配が遠ざかっていくのが分かった。そこでようやくロバートは息をつくことができた。心音も落ち着きを取り戻している。<br />
　思考を少し整理した。メアリーと対峙していたときに点ったあの灯りは、さっきの男が発電機を動かしたのだと推測する。あの男は言っていた、この森にはルールがあるのだと。おそらくは、あの発電機を動かすことが脱出への糸口に違いない。<br />
　そろりと立ち上がって屋外に出る。霧が邪魔をして視界が悪いが、今のところメアリーもしくはグレンが戻ってくる様子はない。この隙にあの発電機を探すべきだ――としたところで、ロバートの耳は微かな物音を拾った。音を頼りにそちらへ向かうと、坑道入り口の裏手に少しだけ稼働している発電機を見つけた。上部にある4つのピストンのうち1つがゆっくりと上下している具合で、誰かが修理をやりかけたものだと伺える。<br />
　生唾を飲み込み、その発電機に手をかける。機械の修理など経験したことはないが、配線の色や部品の噛み合いなどから推察しつつ繋ぎ合わせていった。すると、少しずつではあるが上部のピストンが複数動き始めた。手順が合っていたことに安堵し、更に作業を進めた。<br />
　余裕が生まれたせいか、先ほどの光景が脳裏に浮かぶ。メアリーとグレン、吊り下げられた人間、蜘蛛の脚、そして、――大事なもの。<br />
　そんなはずはない、と首を振った。<br />
　置いていったりなどしていない。溺れてさえいないのだ。娘は誘拐された。親友のジョンが調べてくれたのだから間違いはない。そうだ、ここを脱出したらジョンに連絡をして、当時のことをもう一度詳しく教えてもらえばいい。そうすれば、メアリーの言葉などは虚構であることがすぐに分かるはずだ。<br />
　発電機のピストンは4つ目まで動き出した。それらが徐々に動きを早めるにつれ、緊張感も高まっていく。手汗が滲み、呼吸も浅くなりつつあった。脳内にはまだ吊り下げられた人間の映像がはっきりと浮かんでいる。そこにあの蜘蛛の脚が迫っている姿も。自分も、捕まったらあのおぞましいものの一部になる。首を振った。こんなところで捕まるわけにはいかない。娘の真実を知るまでは死ねない。他のなにを捨てたとしても、己の正義だけは捨てるわけにはいかないのだから。</p>
<p>　ヴーーーーッ</p>
<p>　最後の配線を繋げ終えると、けたたましいサイレンが鳴り響いた。発電機が点灯したことで周囲も明るくなり、より詳しく見渡せるようになる。木造建築から少し離れ、あのレンガ壁にもう一度近づいた。明かりが灯ったことでなにか変化がないかを観察する。と、数メートル先に光を反射する何かが見えた。慎重に近寄ってみれば、それはレンガ壁に取り付けられた大きな鉄扉だった。スライド式の2枚組で、向かって左側にレバースイッチのような機械がある。おそらくこれで開閉するのだろう。発電機はこれを動かすためののもか、と得心した。<br />
　ロバートはためらいなくレバーに手をかけ、下に引き下ろした。ギギギ、とレバーと連動し鉄扉が軋みだす。ややあってレバーの上部にランプが点った。ランプの数は全部で3つある。これが全て点灯するまでは開かないのだろう。早く開いてくれ、と祈るような気持ちでその瞬間をじっと待った。</p>
<p>　――――！！</p>
<p>　不意だった。人間の叫び声がどこからか聞こえる。ロバートの脳裏に、あの男の姿が浮かんで消えた。<br />
　そうか。自分が見つからずに修理できたということは、メアリーに見つかって追われていたのは。<br />
　身震いした。フックに吊り下げられ、あの悍ましい蜘蛛の脚が迫る光景が想起され――ふと思い立った。蜘蛛の脚がやって来る前に助け出すことができれば、あるいは男を助け出せるのでは、と。しかしそのためにはメアリーやグレンの目を掻い潜らなくてはいけない。そんなことが本当に可能だろうか。このまま脱出口が開けば確実に自分だけは助かる。出来るかどうかも分からないことで自らの命を危険に晒すのか？助けたところで、走れるかどうかも分からない男のために？あの醜悪な化け物と再び対峙するというのか？<br />
　ドクン。心臓が再び高鳴り始める。全身の毛が逆立つ感覚とともに焦燥感にかられた。本能的に悟る。あの化け物がすぐ近くにいると。死にたくない。死ぬわけにはいかない。逃げ出したい。こんな思いはもうたくさんだ。早く、早く開いてくれ、何があっても生き残らなくては、でなければ、</p>
<div style="height:60px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　そうでなければあの日に見捨てた意味がない</p>
<div style="height:60px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　ガラガラと音を立て、脱出口がゆっくりと開く。転がるようにロバートは中に飛び込んだ。脱出口の向こうは森が続いている。その先は濃い霧に包まれていて不明瞭だった。耳にはまだあの絶叫が残っている。それでもロバートは振り返らずに走った。ただ真っ直ぐに、ひどく呼吸を乱しながらも走り続けた。霧が濃い。月明かりさえ届かない。無慈悲なまでに暗い霧の森。その森が、不意に明るくなる。ロバートは、そこ目がけて走り込んだ。走って、走って、走り抜けた先にあったのは。</p>
<p>　無人の小さな焚き火。丸太が一本、イスのように横たわる以外なにもない。ロバートが通り過ぎたときと、寸分変わらぬものがそこにあった。</p>
<div style="height:200px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　――……</p>
<p>　アパートの一室で電話が鳴っている。狭く、煩雑とした部屋。埃をかぶっているところから、少なくとも数年は空き部屋である。しかし電話のベルは鳴り続けた。やがて、ガチャリと録音に切り替わる。</p>
<p>「……ロバート？しばらく姿を見ないが、どうしてる？まだ『霧の森』を追っているのか？」</p>
<p>　壮年の男の声だった。</p>
<p>「お前に、謝らなきゃいけないことがあるんだ……あの日、お前の娘がいなくなった日だ。本当は誘拐じゃない。溺れて、そして死んだ。お前の目の前で。死体も見た……本当にすまないと思っている。だが、嘘でも言わなければお前が耐えられないと思った。実際記憶がおかしくなっちまっただろう……『霧の森』という宗教団体がいることは事実だ。だが、娘の件とは何の関係もない。俺が、俺の罪悪感のために吐いたどうしようもない嘘だ……すまない、ロバート。ロバート……ロバート？」</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　ロバートって誰だ？</p>
<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　電話はそれを最後に、二度と鳴ることはなかった。</p>
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		<title>この気持ちに名前を付ける</title>
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		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 13:10:01 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[「……っぐ、」 　喉を掴まれ息が止まる。そのまま壁に押し付けられて足が浮いた。懇願するように腕を叩くも、相手――シェイプはほんの少し首を傾げるだけで、全く気に留めていないようだった。 　今日のシェイプの動きは執拗そのもの...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e3%81%93%e3%81%ae%e6%b0%97%e6%8c%81%e3%81%a1%e3%81%ab%e5%90%8d%e5%89%8d%e3%82%92%e4%bb%98%e3%81%91%e3%82%8b/" title="続きを読むこの気持ちに名前を付ける">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「……っぐ、」</p>
<p>　喉を掴まれ息が止まる。そのまま壁に押し付けられて足が浮いた。懇願するように腕を叩くも、相手――シェイプはほんの少し首を傾げるだけで、全く気に留めていないようだった。<br />
　今日のシェイプの動きは執拗そのものだった。他のサバイバーには目もくれず、私がどれだけ逃げ隠れしても追うことをやめなかった。おかげで通電はできたものの、私だけはシェイプから逃げることができずに足跡や息、またはエンティティの手助けを得てか、とにかく私だけを狙い続けていたのだ。<br />
　私の何が逆鱗に触れたのかは分からない。ただ、これからされるであろうメメントに、目を固く閉じて耐えるしかなかった。<br />
　シェイプの息遣いが間近に聞こえる。私を凝視しているのが感じ取れる。早く、早く終わって。お願い。そんな祈りが永遠にも感じられるころ、やっと、腹部に衝撃と痛みが走った。喉の奥から熱いものが溢れる。口の端から流れ出ていくのを感じ、薄らぐ意識のはざまでシェイプが動いたのが分かった。<br />
　シェイプは、マスクをずりあげると、露わになった口で私の頬に口付けた。</p>
<p>「、……！！」</p>
<p>　べろ、と溢れた血が舐めとられる。優しく、丁寧に、何度も舌が行き来する。それから手を離し、立てない私を支えるように手を腰に回した。マスクをまた元に戻すと、その奥で揺らぐ瞳が私を凝視している。まるで、こんなの、</p>
<p>「な、んで」</p>
<p>　やっと口にした言葉に、シェイプはただ目を細めて、ゆっくりと背中をさすっていた。</p>
<p>（きっとこれが、愛してるってことなんだ！）</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>かき乱してくれるな</title>
		<link>https://swingswing.echo.jp/works/%e3%81%8b%e3%81%8d%e4%b9%b1%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%82%8c%e3%82%8b%e3%81%aa/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 13:09:16 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　生存者がエンティティに捧げられるのを見送ると、俺はぐるりと周囲を見渡す。これで残りはあと一人。発電機が2台直っているのでハッチは開いているはずだが……。 　最後の一人は腕が立つだろう。途中で一度見かけて追いかけたが、建...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e3%81%8b%e3%81%8d%e4%b9%b1%e3%81%97%e3%81%a6%e3%81%8f%e3%82%8c%e3%82%8b%e3%81%aa/" title="続きを読むかき乱してくれるな">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　生存者がエンティティに捧げられるのを見送ると、俺はぐるりと周囲を見渡す。これで残りはあと一人。発電機が2台直っているのでハッチは開いているはずだが……。<br />
　最後の一人は腕が立つだろう。途中で一度見かけて追いかけたが、建物を行き来して足跡を散らしているうちに見失う、という手段を使っている。確か、最近新たに加わった生存者だったはず。名前は、未登録名前、とか言ったか？<br />
　これは少し楽しめそうだ。相手はおそらく罠をかいくぐりながらハッチを探すくらいの力量を持っている。その前に俺が探し出さなければ完全勝利には至らない。<br />
　殺すか逃げられるか。ギリギリの緊張感が全身を駆ける。これだから、霧の森の殺戮はやめられない。俺は仮面の下で喉を鳴らし――</p>
<p>バッチン</p>
<p>「……」</p>
<p>　気のせいでなければ、背後の建物から音がした気がする。気のせいでなければ。<br />
　俺は踵を返し、建物に向かうと窓枠付近に近づいた。</p>
<p>「ひ、い！」</p>
<p>　涙目で必死に罠を外そうともがいている女がいた。<br />
　頭が痛くなった。窓枠付近には罠を設置するのは定石だと思うんだが？その定石をコイツが知らないとは思えないんだが？それとももしくは。</p>
<p>「……お前、バカなのか？」</p>
<p>「うわぁ喋ったァァァ！」</p>
<p>　前言撤回。バカ確定。</p>
<p>「せっかくもう少し楽しめると思ったんだがなぁ俺のテンションどうしてくれるんだ？ええ？」</p>
<p>「ヒイイごめんなさいごめんなさい！やっぱ同じ建物で2回も撒いてたらイラっとしますよねごめんなさい！」</p>
<p>「ああそんときゃだいぶイライラしたな……って違ぇよ！そんだけ逃げられるんなら上手いと勘違いすんだろただの思いつきかテメェ！」</p>
<p>「そうです思いつきでごめんなさい！！まさかあんなに刺さるとは思いませんでした！」</p>
<p>「しれっと煽るな！ナメてんのか！」</p>
<p>「ひええお助け！！」</p>
<p>　もういい。こんな阿呆に付き合ってる時間がもったいない。俺は未登録名前を担ぎ上げると手近なフックに吊り下げた。一度吊っていたためすぐにエンティティの足が振り下ろされ、もがく未登録名前を眺めていた。ていうか最後の一人がもがくなよ。早く死なねぇかなこいつ。</p>
<p>「トラッパー、さん」</p>
<p>　口の端から血を流しながら、未登録名前は言う。</p>
<p>「あの、初めての儀式だったんですけど、」</p>
<p>「だから何だよ。脱出できなくて残念だったとでも言う気か」</p>
<p>「いいえ、確かに残念ですけど、それ以上に、――楽しかったです」</p>
<p>　にこり、未登録名前は笑った。その瞬間気を緩めたせいかエンティティの足が刺し貫き、未登録名前の体は夜空に消える。<br />
　……最後の最後までバカだな。もう少しもがいていられたものを。<br />
　胸中で悪態をつきながら、未登録名前が吊られていたフックが地に落ちても、俺はしばらくそれを見つめていた。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>悲哀の鐘は鳴り止まぬ</title>
		<link>https://swingswing.echo.jp/works/%e6%82%b2%e5%93%80%e3%81%ae%e9%90%98%e3%81%af%e9%b3%b4%e3%82%8a%e6%ad%a2%e3%81%be%e3%81%ac/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 13:08:30 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　ぐちゃ、と錆びた鉄が体を突き抜ける。痛みに顔を歪める暇もなく、振り下ろされた蜘蛛の脚に必死に抵抗する。どうやら私が最後の生存者だったらしく、目の前のローブ姿の男はもがき続ける私をじっと見つめていた。 　何回目かすら忘れ...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e6%82%b2%e5%93%80%e3%81%ae%e9%90%98%e3%81%af%e9%b3%b4%e3%82%8a%e6%ad%a2%e3%81%be%e3%81%ac/" title="続きを読む悲哀の鐘は鳴り止まぬ">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　ぐちゃ、と錆びた鉄が体を突き抜ける。痛みに顔を歪める暇もなく、振り下ろされた蜘蛛の脚に必死に抵抗する。どうやら私が最後の生存者だったらしく、目の前のローブ姿の男はもがき続ける私をじっと見つめていた。<br />
　何回目かすら忘れるほどに過ごした霧の森。私がこうしてフックに吊られるのもまた何度目だろう。</p>
<p>「また、負けちゃったなぁ」</p>
<p>　ローブの男――レイスは何の反応もしない。ただいつものように首を斜めに立っているだけだ。<br />
　蜘蛛の脚が俄かに強まる。もがいていられるのもあと何十秒か。それでも私は言わなければいけない。喉からこみ上げる鉄臭さを堪えて、私はようやくその言葉を口にした。</p>
<p>「愛してる」</p>
<p>　レイスが顔を動かした。斜めだった顔は真正面を向いて、どこかぼう然とした雰囲気でいる。私がしたことで初めてなにか動揺した気がした。優越感を覚えて、もがくのをやめようかと言うところですっとレイスが動いた。からんと足元で鐘が鳴る。戸惑っているとレイスの手が私の頬に触れた。ただ触れただけの、かさかさの手。ちっとも温かくなくて、ひやりとした棒切れのような感触。それなのに、私には今まで触れてきたどの手よりも柔らかく感じた。</p>
<p>「ごめん、」</p>
<p>　自然と口をついていた。何に対してなのか私にも分からない。だけどその手が、とても悲しそうで、辛そうで、どうしたって言わずにはいられなかった。<br />
　蜘蛛の脚が腹部に突き刺さる。黒くなる視界の端でレイスがなにか言おうとするように一歩踏み出すのを見た気がした。<br />
　次、会うときは、もしかしたら……なんて想像してしまうくらいに、私の感覚はとっくに麻痺しているのだと思う。</p>
<p>（きっとどうあがいても、この森で変わるものなどありはしないのに）</p>
<p>&#8211;診断メーカー「愛してると言われたら」より</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>終局の果</title>
		<link>https://swingswing.echo.jp/works/%e7%b5%82%e5%b1%80%e3%81%ae%e6%9e%9c/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 12:52:44 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　ガツン。 　ハッチの蓋を蹴り閉めると、地面に亀裂が走り燃えるような光を伴って儀式場に広がっていった。唯一の希望を封じられた女の表情からみるみる血の気が失せていく。それでもまだ逃げられると思っているのか、じりじりと少しず...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e7%b5%82%e5%b1%80%e3%81%ae%e6%9e%9c/" title="続きを読む終局の果">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　ガツン。</p>
<p>　ハッチの蓋を蹴り閉めると、地面に亀裂が走り燃えるような光を伴って儀式場に広がっていった。唯一の希望を封じられた女の表情からみるみる血の気が失せていく。それでもまだ逃げられると思っているのか、じりじりと少しずつ後ずさっていくのが滑稽で、そして腹立たしかった。<br />
　喉に込み上げる異物感を拭うように唾を吐き出すと、女の身体がびくりと震えて動きが止まる。</p>
<p>「ふざけるなよ」</p>
<p>　一歩、右足を踏み出す。<br />
　遅れて左足を引きずって、女に迫った。女は顔を蒼白にしたまま俺を見上げている。</p>
<p>「もう遅ぇんだ」</p>
<p>　女の視線が揺らぐ。それを許すまいと俺は女の顎を掴んだ。無理やり上げさせた瞳は、今にも涙が溢れそうなほど充血している。<br />
　ふざけるな。<br />
　ふざけるなよ。<br />
　今更何を言う。この枯れた身体にはもうどうすることもできないほどの火が焚べられているというのに。これを元に戻すなど、なかったことになど今更如何して出来ようか。<br />
　女が、何か言いたげに唇を開く。そこに食らいついた。逃げ惑う舌を追って、身の内に燻る熱をこれでもかと押し付ける。次第に女の足腰がふらつき、俺にしがみつくのを視界の隅で見てほくそ笑んだ。<br />
　そうだ。そうやって、俺なしではいられない身体になればいい。お前がいなくては碌に呼吸もできない俺と同じように。<br />
　後戻りなんか出来やしない。一度でも知ってしまった。与えられた熱は体の内側をドロドロに溶かしている。それらは女と混ざり合って、とっくに輪郭など無くなった。それならば、行き着く先は一つきりだ。</p>
<p>「なあ。一緒に地獄に堕ちようぜ、未登録名前」</p>
<p>　堕落の介入が終わるまで、あと僅か。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>In the Air</title>
		<link>https://swingswing.echo.jp/works/in-the-air/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 12:50:01 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　屍肉をついばむカラス。散乱する死体。古ぼけたピアノ。 　あらゆるものが乾ききった酒場。そこで培った記憶も、思いも、荒野のかなたに消えた。ここで得た明るい記憶と言えば父親に機械の扱いを教わっていた時ぐらいなものだ。今では...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/in-the-air/" title="続きを読むIn the Air">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　屍肉をついばむカラス。散乱する死体。古ぼけたピアノ。<br />
　あらゆるものが乾ききった酒場。そこで培った記憶も、思いも、荒野のかなたに消えた。ここで得た明るい記憶と言えば父親に機械の扱いを教わっていた時ぐらいなものだ。今ではそれも朧げにしか思い出せない。<br />
　この西部にはロクなことがない――そこに転がっている、かつて人間だった者たちは口々にそう言っていた。だが、ここを離れて行くアテなどありはしない。明日の金どころか飯や水に困るような奴らがどうやって離れられるというのだろう。<br />
　なにもない。ここにあるのは、飢えた理想と死の匂いだけだ。<br />
　それはエンティティが俺がここに連れてきたとて同じこと。<br />
　夜毎の儀式。止まない悲鳴。絶望に満ちた顔。血と鉄。そう、ここにも何もない。<br />
　俺の中にはもう、何も残されてはいなかった。</p>
<p>　酒場の入り口に立つと、奥から何かが落ちる音がする。向かえば、バーカウンターの上から酒瓶が一つ、床に転がり落ちていった。ここにあるのは死体だけだ。死体がものを動かすはずがない。とするならここにいるのは――</p>
<p>「未登録名前」</p>
<p>　声をかけてやると、バーカウンターに伏していた女が顔を上げた。その頬は赤く色づいている。</p>
<p>「何か用」</p>
<p>　眉間にしわを寄せながら、片手に握っていた酒瓶をドンとカウンターの上に置いた。すっかり空になっているらしい空き瓶が大きく揺れる。</p>
<p>「自分の家で呑んだくれている奴がいたらいい気はしないだろう」</p>
<p>「うそ。自分の家だなんて思ってないくせに」</p>
<p>　そう言うと、未登録名前は喉が逸るほど一気に酒を飲んだ。ウィスキーの香りが俄かに強まり、無人の酒場に広がって行く。<br />
　俺は、椅子を引き、未登録名前と一席離れて座った。<br />
　いつもの光景だった。未登録名前は、何かの拍子にここへやって来ては酒を飲み、幾つか取り留めのない話をしては帰って行く。<br />
　いつ頃始まったのかも覚えていない。ただ、毎度浮かない顔をしているのは確かだ。<br />
　詮索はしない。する必要がない。俺たちの間には空気が横たわるように、相手がそこにいるという事実しかないからだ。<br />
　俺はずっと、そう言い聞かせている。</p>
<p>　手近な瓶を取り、グラスに注いだ。不思議なもので、この酒場にある酒をいくら消費してもなくならない。おそらくエンティティの力なのだろうが、タダ酒を飲めるというのは有り難い話だ。まぁ、飲んだものが身になっている感覚もしないが。<br />
　ごくりと酒を飲み込んだ時、ふと未登録名前の視線に気づく。頬杖を付き、じっとこちらを見つめていた。その顔は先程よりもだいぶ赤く、目もどろりとしている。</p>
<p>「深酒とは珍しいな」</p>
<p>「飲みたい気分だったのー」</p>
<p>　もはや呂律も怪しいというのに、未登録名前は空になったグラスにまた酒を注いだ。</p>
<p>「その辺にしておけよ」</p>
<p>　止めてやる義理はないが、ここで吐かれたりするのは面倒だ。</p>
<p>「なんで、普段そんなこと言わないのに」</p>
<p>「住処を汚されんのが嫌なんでな」</p>
<p>「心配してくれてるのかと思ったのに」</p>
<p>「するか。もう帰れ」</p>
<p>「じゃあ、」</p>
<p>　かたん、グラスが置かれる。</p>
<p>「慰めてよ私のこと」</p>
<p>　何を指す言葉か、一瞬理解できなかった。</p>
<p>「お願い。苦しいの。想い続けるのが苦しい。もう届かないのに、届かないって分かってるのに」</p>
<p>　腹の底から、湧き上がるような熱を感じる。長らく忘れていた感覚だった。ベイショアを殺し、果たされた復讐の先にあったのは虚無だった。俺には何も残されてはいない、そう思っていたのに。<br />
　思い出させたのは、未登録名前だった。それこそいつから始まったのかは分からない。気がついたら、俺の頭を常にこいつが占めている。<br />
　知りたくなかった、思い出したくなかった、なのに、かなたに消えたはずの感情がこんなにも蘇る。</p>
<p>「お願い」</p>
<p>　未登録名前が、俺との距離を詰める。身を寄せて、震える声でそう言った。</p>
<p>　――わざわざ取っていた距離を踏み越えたのは、お前のほうだ。</p>
<p>　俺は酒を飲み干すと、未登録名前の腕を強く引いた。</p>
<p>「後悔するなよ、」</p>
<p>　それは誰に向けていた言葉だったのだろう。<br />
　考える暇もなく、俺たちは互いの呼吸をこの干からびた空気の中に混ぜ込んだ。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>甘い懺悔</title>
		<link>https://swingswing.echo.jp/works/%e7%94%98%e3%81%84%e6%87%ba%e6%82%94/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 12:48:57 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　カツン、カツン 　なにか、硬いものがぶつかる音がする。小さく、不規則ながらも断続的に聞こえてくる。 　ぼんやりする頭でゆっくりまぶたを持ち上げて、飛び込んできた光景に目を見開いた。 　異様な部屋だった。まるで刑務所の中...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e7%94%98%e3%81%84%e6%87%ba%e6%82%94/" title="続きを読む甘い懺悔">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　カツン、カツン</p>
<p>　なにか、硬いものがぶつかる音がする。小さく、不規則ながらも断続的に聞こえてくる。<br />
　ぼんやりする頭でゆっくりまぶたを持ち上げて、飛び込んできた光景に目を見開いた。<br />
　異様な部屋だった。まるで刑務所の中のように狭く、薄暗い。明かりといえば真ん中にある鉄製のテーブルに電気スタンドが一つ置かれているだけで、心許ない光は部屋をさらに不気味ものにしていた。<br />
　私はその前に置かれたイスに座っている。ただし、後ろ手に手錠で固定されている。引っ張っても、ガチャガチャと音を立てるだけで外れる気配はない。<br />
　一体ここは、</p>
<p>「気がついた？」</p>
<p>　肩が跳ねる。<br />
　暗がりから、ぬうと白い顔が現れた。いや、それは最初から私の前に座っていたのだろう。ムンクの叫びを思い出させる白いマスクと、黒づくめのコートを羽織った男が私の前に座っている。異常な風体。直感で悟った。こいつが私をここに、と。<br />
　男は私に向けていた電気スタンドを、お互いの手元が見えるように位置を変える。テーブルの上にはいくつかのガラス玉が散らばっていて、さっきの音はこれがぶつかっていたのだと気づいた。</p>
<p>「急に呼び出して、悪いね」</p>
<p>　まるで待ち合わせた友人にするような声で男が言う。もちろん私にこんな悪趣味な知り合いはいない。<br />
　男の意図が分からない。なぜ私をこんなところに連れてきたのか、なぜ縛られているのか、そんな仕打ちをしておきながら、なぜ親しげに話しかけてくるのか。</p>
<p>「君は、どうしてと思っているだろうね」</p>
<p>　息を呑む。<br />
　カツン、カツンとガラス玉が弾かれる。</p>
<p>「君が気付かなかっただけかもしれないよ。もしかしたら、どこかに兆候があったのかも。覚えはない？誰かに恨まれたりだとか」</p>
<p>　そんなはず、と開きかけた唇は、身を乗り出してきた男の人差し指で塞がれる。弾みでテーブルの上に散っていたガラス玉がバラバラと転がり落ちた。</p>
<p>「言っただろう？気付かなかっただけかもしれない。よく思い出してごらん？誰かにぶつかりそうになったことは？おろおろ困っている人を見て見ぬふりしたことは？嘘をついたり、約束を破ったりしたことは？」</p>
<p>　声は低く、静かで、落ち着いていた。まるで隙間に入り込んでくるかのよう。私の中の柔らかいところを突いて、ひどく掻き回してくる。<br />
　男は、どこまでも冷静に問い続ける。</p>
<p>「無知は罪、とはよく言ったものだよ。知ろうとしなければ、傷つけたことも分からない。可哀想に、君は自分の罪に殺されるんだ」</p>
<p>　思い出せない。私はこの男とどこかで関わったことがあるのだろうか。男は、それこそが私の罪なのだと言う。私は罪によって殺されるのだと。<br />
　奥歯が鳴った。震えているのが自分でも分かる。ぼろぼろと涙が溢れるのに私は男から目をそらせない。<br />
　どうれば私は、赦してもらえるのだろう。どうすれば、私は、</p>
<p>「ごめんね、泣かせたいわけじゃない」</p>
<p>　不意に、唇に当てられたままだった男の指が滑り出した。唇を優しくなぞり、一度離れ、包み込むように頬を撫でて涙をすくう。</p>
<p>「今すぐっていう話じゃないから。まずは落ち着いて」</p>
<p>　ね？と男が言う。その優しい声音を聞き、少しずつ平静が戻ってくるのを感じた。不思議なことで、男の言葉には力強い説得力があるように思えた。<br />
　きっと、彼の言うことを聞いていれば私はもう間違うことはないのだ。</p>
<p>「ふふ、良い子だ」</p>
<p>　泣き止んだ私を見て、彼がよしよしと頭を撫でる。褒められて気分が良くなった私は、目を閉じてその感触を深く味わった。<br />
　不意にその感触がなくなったかと思うと、次にやってきたのは柔らかい唇だった。まぶたに、頬に、そして唇に。甘く吸われて、舌で触れられ、頭がびりびりと痺れだす。もう何も、彼が与えてくれるもの以外の感覚が、私の中から抜け落ちてしまうような。</p>
<p>　がり。</p>
<p>　にわかに血の味が広がった。驚いた私は机ごと男を蹴飛ばす。けたたましい音とともに机が倒れ、ガラス玉と電気スタンドが床に広がった。<br />
　その時私はようやく知ったのだ。<br />
　窓のない壁一面に、私の写真が貼り付けられている。そのいずれもこちらを向いてるものがない。</p>
<p>「残念だったなぁ」</p>
<p>　くつくつと、喉の奥で男が笑い、私の両頬を手のひらで包みこむ。</p>
<p>「俺に好かれたお前が悪い」</p>
<p>　獣が唸るような声で、今度こそ私は彼から逃げる術を失った。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>ガラス玉の昨日</title>
		<link>https://swingswing.echo.jp/works/%e3%82%ac%e3%83%a9%e3%82%b9%e7%8e%89%e3%81%ae%e6%98%a8%e6%97%a5/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 12:48:21 +0000</pubDate>
				<guid isPermaLink="false">http://swingswing.echo.jp/?post_type=works&#038;p=94</guid>

					<description><![CDATA[　ゲートが閉じる。最後の1人の背中を見送っていると、にわかに周囲から霧が引いていった。 　まるで、用済みだと、言われている気がした。 　ひと気のなくなったガス・ヘヴンに、再び静けさが戻る。あれほどいたカラスもいつの間にか...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e3%82%ac%e3%83%a9%e3%82%b9%e7%8e%89%e3%81%ae%e6%98%a8%e6%97%a5/" title="続きを読むガラス玉の昨日">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　ゲートが閉じる。最後の1人の背中を見送っていると、にわかに周囲から霧が引いていった。<br />
　まるで、用済みだと、言われている気がした。<br />
　ひと気のなくなったガス・ヘヴンに、再び静けさが戻る。あれほどいたカラスもいつの間にか姿を消して、音といえば僅かばかりの風で舞う枯れ草か、無人の店で鳴る入店ベルだけだった。</p>
<p>　エンティティに課された儀式をこなすことは、僕にとって唯一の救いだった。<br />
　何もかもを無くした僕に、エンティティは役割をくれて、存在意義を作ってくれた。それは、僕にとって暗い夜に浮かぶ、それこそ満月のようだった。満月が照らす道を辿っていれば迷うことなんかない。だから僕はエンティティの言うことはなんでもやったし、それが僕にとっての救いだと信じていた。</p>
<p>　はずなのに。</p>
<p>　こうして逃げる生存者たちの背中を見つめていると、時々、あの日の記憶が蘇った。廃車の中に閉じ込められた男の、怯えきった表情。拘束を解いたときの金切声。逃げる背中――吹き出す血飛沫。<br />
　あの時から、僕は何ひとつ変わってはいないのだろうか。<br />
　そう考えて、首を振る。考えるのは苦手だし、殺人鬼にそんなものは必要ない。ただ僕は「レイス」でいればいい。それで十分なのだから。</p>
<p>　ガス・ヘヴンの建物に戻る。儀式のないときは自由に過ごしていいとされていて、殺人鬼の中には各地域を行き来する者もいる。僕は出歩くのはあまり好きではないから、いつものように自分の根城に戻っていった。<br />
　だから、「それ」にもすぐ気づくことが出来たのだと思う。<br />
　店内に入ってすぐの、散らかった棚。その向こう側から足が伸びているのに気づいた。白くて細い、おそらく女の子の裸足。僕はびっくりしてしばらく固まっていると、その足がもぞもぞと動いて引っ込み、やがて棚から顔がのぞいた。</p>
<p>「変わったお顔をしているのね」</p>
<p>　何のことだか分からなかった。しばらくしてから僕のことを指しているのだと気づくと、少しばかり苛立った。<br />
　初対面の人間に、変わってる、だなんて。なにか言い返そうとして、しかし、長いこと使っていなかった僕の声帯は、野良犬のようにぐるぐると唸るだけで言葉にはならなかった。<br />
　それを見ていた女の子は、ふふふと短く笑った。</p>
<p>「ごめんなさい、良い気持ちじゃないわよね。けど、わたし、そういうの好きなの。ひとと違うってところ、そのひとにしかないもの」</p>
<p>　この子には、僕が「少し変わった普通のひと」に、見えているらしかった。<br />
　汚れた廃墟で、血と泥の匂いを放ちながら、およそ人間とは呼べない姿で立ち尽くしている僕を見て、彼女は、笑ったのだ。<br />
　「変わったひと」だと。そして、違うことが好きなのだ、と。<br />
　僕は、どうしても彼女になにか言いたくなって、思い切り息を吸い込んで、お腹のあたりが痛くなるのを手で抑えながら、唇を割った。久しぶりに動かす唇は、固くて、ぎこちなくて動かしづらかったけど、それでもこの女の子に伝えなければと思うと苦しくはなかった。不思議な心地がした。</p>
<p>「れ、い、す」</p>
<p>　女の子は、ガラス玉でできたみたいなきれいな瞳をまん丸にして、じっと僕を見た。</p>
<p>「そう、呼ばれ、る」</p>
<p>　ガラス玉が、ゆるやかな弧を描く。</p>
<p>「レ・イ・ス。レイスね、お名前も変わってるわ」</p>
<p>　今度は、嫌な気持ちにはならなかった。だって目の前のガラス玉が、こんなに嬉しそうに弾んでいる。<br />
　そうしてから、ようやく僕は「この子はどこの子なんだろう」と思うに至った。</p>
<div style="height:200px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　彼女のことを尋ねると、未登録名前という名前以外なにも覚えていないのだという。ここに来る前なにをしていたかとか、どんなところで暮らしていたかとか、そういった記憶が完全に抜けてしまっているらしい。<br />
　この霧の森に呼ばれた者は、例外なく記憶を持っている。殺人鬼でも生存者でも等しく同じ。それを根源として、個々の役割における能力になるからだ。<br />
　それなのに彼女にはなにもない。とすると、なんらかの事故で霧の森に落ちてしまったのではないか。もしそうだとしたら、そのうちエンティティが排除するなり、元の場所に返すなりするだろう。僕からすることは特にないような気がする。</p>
<p>「どしたの、難しい顔をしてる」</p>
<p>　顔をあげると、ガス・ヘヴンのカウンターに腰掛けた未登録名前が、膝に頬杖をつきながらこちらを眺めている。どことなく退屈そうで、面白くなさそうな表情。まるで子どもみたいだな、と思うと少し愉快だった。</p>
<p>「ねえ、レイス」</p>
<p>「なに」</p>
<p>「おなかすかないの」</p>
<p>　へ、と息が漏れた。</p>
<p>「きみ、お腹すいたの」</p>
<p>「ううん、でも、なにか食べたほうがいいんじゃないかって思ったの。あなた、ひどく『痩せぎす』だわ」</p>
<p>　それは事実なので否定できない。けど、この森に来てから空腹というものを感じたこともない。過去は何度も、お腹と背中がくっつきそうな思いをしてきたというのに。<br />
　あれ。<br />
　なんだか、そう言われると、すごく寂しいことのように思えてくる。</p>
<p>「なにかないのかしら」</p>
<p>　未登録名前はぴょんとカウンターから飛び降りて、近くの棚を漁りだす。<br />
　なにか、と言われてもここはガソリンスタンドで、しかも廃墟だ。食べるようなものはなにもないはず。</p>
<p>「……小麦粉があるわ。それからバター。砂糖もあるし、オーブンがあればクッキーができそう。ここってオーブンある？」</p>
<p>　どうして、一度も見たことがないものがここに。あるとすればエンティティが寄越したに違いないが、一体いつ？僕と彼女のやり取りを見てから？それなら、どうして彼女の存在を許している？<br />
　様々な、本当に様々な疑問が浮かんだ。<br />
　けれど、</p>
<p>「…………外にあるかも。捨てに来る人が、いるから」</p>
<p>　楽しそうな未登録名前の表情を見ていたら、もう少し、この疑問を晴らすのを先伸ばしにしたくなってしまった。</p>
<p>「そういうところなの、ここって。まあいいわ。動かせるもの探しましょう」</p>
<p>「あ、あぶない、から。僕が行くよ」</p>
<p>「言い出したのはわたしなんだから、わたしが行くべきだと思わない？」</p>
<p>「けっこう強引……」</p>
<p>　呆れたように言ったつもりだったのに、僕の耳ですらも弾んだようなトーンに聞こえるものだから、僕は彼女のペースにすっかり馴染んでしまっているようだ。　</p>
<p>　表にある瓦礫の山から比較的きれいなオーブンを拾って、店内のコンセントに繋いでみる。不安だったが電気は通っているようで、程なくしてオーブンが動き出した。ちょっと焦げくさいねぇなんて未登録名前が言うので、手先が器用なエンジニアの顔が浮かんだのだが、なんとなく彼女の存在を隠さなきゃいけない気がしてそうだねと相槌をうった。<br />
　オーブンを温めている間に材料を混ぜて、こねて、小さなかたまりを天板に並べていく。彼女が丸めた生地と僕のそれとでは全然形が違うので、恥ずかしい気持ちになった。でも未登録名前は「食べちゃえば一緒よ。それにわたし、このかたち好きだわ」と僕が丸めたものを小さな爪先で撫でたので、恥ずかしい気持ちはなくなったけれど、なんだかくすぐったいような、変な感覚がした。<br />
　温まったオーブンに入れて、焼き上がりを待つ。薄暗い店内でそこだけがぼんやりと明るくなり、それを2人でじっと眺める。こんなふうに何かを待ち遠しくなるのも、ずいぶん久しぶりな気がした。</p>
<p>「そういえば、クッキーの作り方は覚えていたんだね」</p>
<p>　焼き上げるまでの暇つぶしに、ふと思ったことを投げかけてみた。僕の喉もだいぶ慣れて、あまりつっかえずに話せるようになっていた。<br />
　嫌味に取られないか少しだけ心配になったが、未登録名前はきらきらする目でオーブンを見つめていたので大丈夫そうだった。</p>
<p>「そうね、体が覚えてるみたいだったわ。手が勝手に動くの。きっとわたし、お料理がすきだったのね」</p>
<p>「じゃあ、このクッキーもきっと美味しいんだ」</p>
<p>「どうかしら。なにせ他のことはぜんぜん覚えていないもの」</p>
<p>「でも手際がすごくよかった。もしかして料理人さんだったのかも……」</p>
<p>「それはないわね」</p>
<p>　きっぱりと。<br />
　記憶はないと言いながらも強い否定を感じさせる声だった。<br />
　驚いて口を噤んでいると、未登録名前がぱっとこちらを向く。</p>
<p>「もうすぐ焼き上がりそう」</p>
<p>「う、うん。そうだね」</p>
<p>　オーブンに戻った未登録名前の瞳は、また子どものようにきらきらしている。</p>
<div style="height:200px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　古い廃車場。錆びた車。油のにおい。軋む金属。<br />
　そのなかに、僕は立っている。手元の機械を動かして、古びた車をプレスにかけている。毎日同じ時間をかけて、同じ量の廃車を生み出していく。変わらない日々。それでいいと思っていた。変化なんて望まない。したらきっと戸惑ってしまうから。掻き乱されてしまうから。変わらないものが欲しかったから。<br />
　だけど、ある日、いつもと違うことが起きてしまった。僕の上司が、いつもいばり散らしているだけの男が、手に、小さな――</p>
<div style="height:200px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　ガタン。<br />
　大きな物音がして起きる。どうやら外で、何かが落ちたらしい。一体何が。ここには僕しか――いいや。<br />
　はっとして辺りを見渡すと、向かいのソファに眠らせていたはずの未登録名前がいない。もしやと思って飛び起き、外に出る。</p>
<p>「未登録名前！」</p>
<p>　彼女は、細い、僕が登ったら折れそうなほど細い木の上に座っていたのだ。</p>
<p>「踏み台だったがらくたが倒れちゃって、」</p>
<p>　見ると、確かに小さめの冷蔵庫が転がっている。さっきのはこれが倒れた音だったのか……なんて、そんな場合じゃない。僕は冷蔵庫を立てて、しっかり支えた。</p>
<p>「未登録名前、危ないから降りてきて」</p>
<p>「大丈夫よ。木登り得意なの」</p>
<p>「枝が折れたらどうするの！お願いだから」</p>
<p>　必死さが伝わったのか、未登録名前はちょっと困った顔をしながらゆっくりと降りてきた。彼女の両足が地面につくのを見届けると、僕は深く息を吐く。それから、彼女がどこか怪我してないか見ていると「心配しすぎよ」と笑われた。<br />
　どうして、未登録名前のことがこんなに気がかりなんだろう。昨日会ったばかりで、不思議な行動ばかりしているのに、なぜか目が逸らせない。きらきらする瞳が色んな形に変わるのを、ずっと見ていたいような気持ちになった。すっかり失われたと思っていた僕の感情というものが未登録名前によって揺すぶられる。レイス、というものはそこにはない。<br />
　未登録名前の前では、うまく「レイス」でいられない。</p>
<p>「どうしてあんなところに」</p>
<p>　浮かんだことをかき消すように尋ねると、未登録名前は片手を差し出した。</p>
<p>「これがね、風に乗ってどこからか飛んできたの。それで木の上に引っかかって、どうしても気になったから」</p>
<p>　その手には一枚の紙切れが――いや、一枚の写真があった。ひどくぼろぼろで色褪せてしまっている、古いもののようだった。僕はずっとここにいるのに一度も見かけたことがない。<br />
　誰が写っているのだろう、と写真を受け取ったとき、僕のお腹の底がかっと熱くなった。<br />
　僕の上司だった。アザロフが写っていた。<br />
　それだけではない。<br />
　アザロフの隣に女性が写っている。顔はにじんでよく見えないが、まだ年若いのだろう。親子のように仲良さげに笑っている。<br />
　どうして忘れていたんだろう。<br />
　この子は、アザロフの娘。そして、名前は、「未登録名前」という。</p>
<p>「知っているひと？」</p>
<p>　肩が跳ねた。<br />
　もしや、未登録名前には記憶があるのではないか。全部知っていて、父親を殺した僕を恨んでいるのか。僕の気を引いて弄んでいるのか。だとしたら昨日のクッキーは。<br />
　けれど、けれど。</p>
<p>「レイス」</p>
<p>　心配そうに、僕の顔を覗き込んでくる。ガラス玉みたいなきれいな瞳。ふたつの輝き。見透かすように、映し出すように。見えないものを見るように。</p>
<p>「知ってる、」</p>
<p>　未登録名前は瞬きをひとつした。</p>
<p>「……気がするけど、思い出せないんだ」</p>
<p>「レイスにもあるのね、そういうの」</p>
<p>　じゃあわたしたち一緒ね、と未登録名前は言った。</p>
<div style="height:200px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　</p>
<p>　変わらないものが欲しかった。変化なんて望んでいなかった。このままでいいと、このままがいいと思っていた。毎日、明日に怯えて生きるのはもうたくさんだった。<br />
　でも、僕は未登録名前と出会った。<br />
　その日、アザロフは上機嫌だった。一人娘の手を引いて、見たことのないような笑顔を浮かべて僕に自慢してきたのだ。未登録名前は、初めて会う僕にも優しく話しかけてきた。</p>
<p>「わたしは未登録名前っていうの。あなたは？とっても背が高いのね、わたしこんなに大きなひと見たことない。素敵なことね。あなたにしかないものなんだわ」</p>
<p>　言われたことも、聞いたこともないような言葉たちを、未登録名前はいとも簡単に声にした。きっと僕みたいな人間が口にすれば薄っぺらくなるような言葉も、彼女が口にすれば本当にそうだと思わせるなにかがあった。<br />
　それからいろんな話をした。料理を頑張っていることだとか、体を動かすのが好きだからよく木に登るとか、そんなありきたりな話でも、ガラス玉みたいにきれいに輝く瞳が楽しそうに弾むので、僕は飽きずに未登録名前の話をよく聞いた。</p>
<p>　変わりたい、と、そのとき初めて思った。彼女が言う「素敵」に見合うだけの僕になりたかった。今の僕ではその言葉が嘘になる。そんなことは悲しいから。せっかくもらったきれいなものを、彼女にしかないきれいな言葉を、僕は大事にしたかった。</p>
<p>　だから、許せなくなった。<br />
　血の匂いがするトランク、縛られていた男を解放して、また倒れる、その向こう側から現れたアザロフ、僕は、衝動なんかじゃなかった、頭の中には未登録名前がいて、血と錆なんか関係ないみたいにきらきら笑っているのがこの男の娘であることが許せなくなった。</p>
<p>「あなたは」</p>
<p>　彼女は得意な木登りで、上からずっと見ていた。自分の父親が破砕機に放り込まれるのも、脊髄が引き抜かれるのも、その返り血を浴びる僕の姿も。<br />
　僕は、血が滴り落ちる骸骨を投げ捨てる。</p>
<p>「未登録名前、僕は、」</p>
<p>　一歩踏み出すと、未登録名前は逃げるように体を縮こませ、更に上へ登ってしまう。僕は木登りが得意ではないから、その辺のガラクタを寄せて足場にし、未登録名前を追った。<br />
　木はそれほど高くはない。木登りは得意じゃないけど、体は大きいから、腕を伸ばせば未登録名前に届く。そうして、あと少し。あと少し。あと少し。</p>
<p>　未登録名前が、飛んだ。</p>
<p>　地面を見る。しかし、そこには何もなかった。未登録名前の姿も、男の死体さえも。寄せたはずのガラクタも。何もない。<br />
　そんなはずはない。あのとき未登録名前は確かに飛んだ。飛んで……そこからどうなった？未登録名前はどこへ消えてしまった？それとも僕が、アザロフと一緒に破砕機へ？いや、でも、未登録名前にそんなこと、僕が覚えているのは一人ぶんの、覚えているのは……覚えているのは。</p>
<p>　アザロフに娘なんていなかった。</p>
<p>「レイス」</p>
<p>　引き戻される。目の前には、テーブルに置かれたクッキーと、ソファに座っている未登録名前。ふたつのガラス玉で僕を写している。まるくて、きれいで、まっすぐな。<br />
　僕は、ぎゅっと拳を握る。</p>
<p>「これは幻想なんだ」</p>
<p>　喉の奥が、ひりひりした。</p>
<p>「きみは本当には存在しないんだ。ここから逃げ出したいと、一瞬でも思ってしまった僕への罰だ。こんなしあわせは永遠にこない。夢にすらならない。そんなことは、ずっと分かっているのに」</p>
<p>　胸が苦しくて、声もかすれて、視界もだんだんぼやけてくる。だけどもう逃げるわけにはいかなかった。未登録名前は僕が生み出した幻で、その幻が霧の森で動いている。<br />
　あの日から僕は何ひとつ変わっていない。<br />
　同じ日を、同じ間隔で、同じ量だけ消化しているだけの、ただの殺人鬼であることを、僕は理解しなければいけばかったのに。</p>
<p>「わたしには記憶がないから、あなたの言っていることの半分も、たぶん理解できていないわ」</p>
<p>　まだそれを、と思った。でも未登録名前のほうを見ることはできない。あのきれいなガラス玉にきっと焼かれてしまうから。</p>
<p>「でもひとつだけ分かることがあるの」</p>
<p>　思考が止まる。</p>
<p>「あなたは、許されたかったんだわ」</p>
<p>　胸がじわじわと熱くなった。<br />
　ずれていた歯車が噛み合わさるような感覚。僕が本当に望んでいたこと。変わらないものなんかじゃない。変わらなくてはならない。<br />
　僕は、自分自身を、許してやらなきゃいけなかった。<br />
　ぼたぼたと涙が溢れる。声もなく、瞬きも忘れ、膝の上で握られたままの拳をぎゅうぎゅう握る。</p>
<p>「未登録名前、……ごめ、ごめんね、」</p>
<p>　何を謝っているのか分からなかった。<br />
　けど、これは罪悪感なのだろう。僕が生み出した幻想、勝手に作った存在への。<br />
　そう、っと僕の拳を撫でる指がある。細く小さな指で、慈しむように何度も、何度も。手の甲を往復する。<br />
　その感触に戸惑っていると、やがてその指は僕の腕へ、肩へ、そうして、僕は暖かい温度に包まれた。</p>
<p>「いいの。レイス、わたし、あなたのこと好きだもの」</p>
<p>　――幻想なんだと、言い聞かせるのが苦しかった。<br />
　僕は返事をするでもなく、目を閉じて、ただ未登録名前が与えてくれる温度を感じていた。</p>
<div style="height:100px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　次の日、未登録名前は僕の前から姿を消した。</p>
<div style="height:300px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>　目を覚ます。なにか、夢をみていたような気がした。はっきりしない頭でなんとか思い出そうとしたけれど、ぼんやりした風景しか出てこなかった。その風景も見覚えのあるような、ないような、曖昧なものだった。<br />
　起き上がって、開けっ放しだった窓を閉めに行く。外はすっかり真っ暗で、満月さえ浮かんでいた。少しだけのつもりがだいぶ寝入ってしまったらしい。無用心だから2階でも窓を開けたままにしないでと怒る親の顔を思い出した。<br />
　窓枠に手をかけたとき、ガタンと音がした。外から聞こえたものだ。目を凝らすと、野良犬がゴミ箱かなにかを倒してしまったらしい。それにしても大きな野良犬だ。どこから来たのだろう。じっと見つめていると、犬が気づいてこちらを見た。灰色のような、黒色のような体毛。顔に変わった模様もある。満月の明かりが、犬の目を反射させて白く光った。</p>
<p>　わたしは、あの犬を知っている。</p>
<p>　犬が視線を外して歩き出す。薄暗い路地へ向かったのを見て、わたしは窓から庭の木に飛んだ。木登りは得意だった。こんなこと、するのは初めてだけど。わたしはよく知っている。<br />
　親に見つからないようゆっくり降りて、犬の後を追いかけた。路地の先で犬が待っている。さらにその先で、きっと待っている。また泣いてはいないだろうか。今度こそ笑ってはくれないだろうか。そのときは、また一緒にクッキーを焼いて、取り止めもない話をしながら月明かりの下で眠ろうと思った。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
		<post-id xmlns="com-wordpress:feed-additions:1">94</post-id>	</item>
		<item>
		<title>呼ばない声</title>
		<link>https://swingswing.echo.jp/works/%e5%91%bc%e3%81%b0%e3%81%aa%e3%81%84%e5%a3%b0/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 12:46:55 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　背中が、ぐうと熱くなった。次にやってきたのは鋭い痛みと、倒れたときの衝撃。はくはくと息を吐き、泥の匂いと鉄の匂いをいっぺんに吸い込んだ。冷たい。雪の冷たさで体が冷え、徐々に感覚が麻痺してくる。それなのに汗が止まらず、熱...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e5%91%bc%e3%81%b0%e3%81%aa%e3%81%84%e5%a3%b0/" title="続きを読む呼ばない声">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　背中が、ぐうと熱くなった。次にやってきたのは鋭い痛みと、倒れたときの衝撃。はくはくと息を吐き、泥の匂いと鉄の匂いをいっぺんに吸い込んだ。冷たい。雪の冷たさで体が冷え、徐々に感覚が麻痺してくる。それなのに汗が止まらず、熱が出たように意識が揺らいだ。<br />
　その私の頭に影が差す。見ないでも分かる、今回の相手だ。灰色のパーカーを着た殺人鬼、リージョンが、おどけたような仮面の下で私をせせら笑っている。</p>
<p>「あんた」</p>
<p>　リージョンが、かがみ込んで私を見下している。</p>
<p>「いつになったら俺のもんになるの？」</p>
<p>　……ああまたか。<br />
　頭痛がする。背中の傷とは無関係の、私の中を占拠し続ける鈍い痛みが。<br />
　儀式で会うたびにこんなことを繰り返していた。全逃げだろうと全滅だろうと、リージョンは私に甘言を吐き出すのをやめない。何度断ったことかも分からないほどに。<br />
　繰り返している。</p>
<p>「……しつ、こい」</p>
<p>　やっと吐き出した私の言葉に、リージョンは不愉快そうに鼻を鳴らした。</p>
<p>「強気なのはいいけどさ、自分の立場分かってんの？あんたが最後の一人で、近くにハッチもない、んで目の前にはおっそろしい殺人鬼がさ……」</p>
<p>　手にしていたナイフを見せ付けるようにもて遊ぶ。雪を反射して白く光るそれを、リージョンは私の頬に押し付けた。</p>
<p>「余裕なんか、ないんじゃないの？」</p>
<p>　押し付けられただけのナイフは、まだ切れない。けれど一瞬でも引けば、たちまち赤い傷を生むだろう。<br />
　私の返答次第で。</p>
<p>「何度も、言うけど……年下には興味、ないし、そんなセリフ、誰にでも言うような、奴は、……嫌い」</p>
<p>　頭に衝撃が走る。リージョンが私の頭を鷲掴んで、無理やり顔を上げさせていた。<br />
　仮面の奥で、野良犬みたいな目が私をにらみつけている。</p>
<p>「お前に拒否る権利なんかねえんだよ。なんなら今すぐにでも犯していいんだぜ。ええ？」</p>
<p>「…………は、そんなに、好かれてんだ」</p>
<p>　再び地面に投げ出される。はずみで口の中に泥が入り込み、げほげほと咳き込んだ。血の味もする。もうまともに息を吐くこともできない。<br />
　いつもなら、このくらいで何も返さなかった。吊られるか失血死するかを黙って待っていた。関わることが、深入りすることが、私にとっての境界線だったのに。<br />
　だけど、野良犬が子犬のようだと、ずいぶん前に気づいてしまったのだ。</p>
<p>「そうやって、……なんでも自分の、思い通りになるって……思っているんだね」</p>
<p>「……黙れ」</p>
<p>「暴れて、いれば、まわりはみんな、言うこと聞いて、くれていたんでしょう……」</p>
<p>「黙れ」</p>
<p>「子どもと同じ」</p>
<p>「黙れ！！」</p>
<p>　ぎゅうと身を硬くした。きっと蹴りの一つでも、リージョンのことだからすると思った。けれどいつまで経っても衝撃はやって来ず、沈黙だけが流れた。<br />
　どうしてだろう。<br />
　遊びのつもりならもっと乱暴にするだろうし、今の言葉で興味を失っていてもおかしくない。図星というなら尚のこと。<br />
　もし。<br />
　もしリージョンが、遊びのつもりではないのだとしたら。<br />
　そう考えた時、切られた時以上の冷や汗が、私の体を支配した。</p>
<p>「……今回は、大人しく吊ってやるよ」</p>
<p>　ぐるぐると思考を詰まらせていると、ため息とともにリージョンが私を担ぎ上げた。</p>
<p>「けど、次に会ったら八つ裂きだからな。よく覚えてろ」</p>
<p>　そのまま、近くにあったフックに吊るされる。痛みはもはや感じない。しかし、私を見上げるリージョンを見ていたら、傷よりも重い頭痛がより一層ひどくなった。</p>
<p>「……なんで、」</p>
<p>　その時、ようやく涙がこぼれた。</p>
<p>「好きになっちゃったんだろう」</p>
<p>　蜘蛛の足が振り下ろされ、私の意識はそこで途切れた。</p>
<div style="height:300px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>
<p>「……ふざけんなよ」</p>
<p>　リージョンは、フックの無くなった柱の前で座り込んだ。</p>
<p>「誰がどんな気で……クソ」</p>
<p>　仕舞い込むつもりだった。誰にでも同じようなことを言っていれば隠し通せると思った。だけどあの瞳の前では何もかもが筒抜けだった。<br />
　それなのに、こちらは何も知ることができなかった。</p>
<p>「未登録名前」</p>
<p>　呼ばないようにしていた名前は、じわじわとフランクの内側を蝕んでいった。</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>夜風</title>
		<link>https://swingswing.echo.jp/works/%e5%a4%9c%e9%a2%a8/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[ngr]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 12 Jan 2023 12:46:14 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[　ぱちん。 　焚き火の枝が弾ける音に肩が跳ねた。未だに慣れない。繰り返される理不尽な「儀式」で、些細な音でも過剰反応するほどに私の精神はすり減ってしまった。 　カラスの羽撃きも、枯れ葉が落ちる音でも、風で草むらが揺れる音...  <a class="excerpt-read-more" href="https://swingswing.echo.jp/works/%e5%a4%9c%e9%a2%a8/" title="続きを読む夜風">続きを読む</a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>　ぱちん。</p>
<p>　焚き火の枝が弾ける音に肩が跳ねた。未だに慣れない。繰り返される理不尽な「儀式」で、些細な音でも過剰反応するほどに私の精神はすり減ってしまった。<br />
　カラスの羽撃きも、枯れ葉が落ちる音でも、風で草むらが揺れる音も。その音の向こう側に、どうしても気配を感じてしまう。大きい音なら尚の事。ここに安寧はない。どこにいても、なにをしていても、心が落ち着くようなものはなにもないのだ。</p>
<p>　――</p>
<p>　肩は跳ねなかったが、首を傾げた。聞き慣れない音がしたからだ。<br />
　森の隙間から、バイクのエンジン音がするのだ。それも、多分スクーターのような軽いものではなく、かなり重たい。<br />
　初めての出来事に戸惑っていると、やがてその音は私のすぐ近くで停止した。</p>
<p>「……ド、ドワイト？」</p>
<p>　バイクを降り、ヘルメットを取ったその姿は同じく儀式を共にする仲間、ドワイトだった。</p>
<p>「ごめん未登録名前、驚かせたよね」</p>
<p>「あーいや……」</p>
<p>　確かにびっくりしたが、私が驚いたのは、ドワイトがバイクを運転していたことにだった。<br />
　はっきり言ってドワイトはかなり気が弱い。儀式中でも心音が聞こえればパニックになったり、負傷するとオロオロしてしまうようなタイプだ。<br />
　そんなドワイトが、大きなバイクを運転している姿なんて想像したこともない。<br />
　言葉に詰まってバイクを見つめていると、ドワイトが気恥ずかしそうに言った。</p>
<p>「ガスヘブンに、捨ててあってね。多分エンティティがどこかから持ってきたんだと思うけど、修理したら乗れそうだったから」</p>
<p>　結衣にも手伝ってもらったんだ、なんて笑うドワイトが、まるで別人のように思える。</p>
<p>「あ……良かったら、乗る？後ろ」</p>
<p>「えっ？」</p>
<p>「あっごめん。僕の後ろなんて嫌だよね」</p>
<p>「そうじゃない、けど……」</p>
<p>「あ、僕の技術のこと？結衣が言うには『まぁまぁ』らしいから、事故は起きないと思うから安心して」</p>
<p>　事故が怖いからとか、そういうつもりで言ったわけじゃないけどそれはさておき。<br />
　結衣はバイクのレーサーで、大会経験者だと聞いている。その彼女が言う『まぁまぁ』って、それは一般的な感覚からしたら相当なんじゃないんだろうか？本人は多分気づいてないけど。<br />
　興味が湧いた。普段、儀式で弱音ばかりの彼が、どうしてバイクなんだろうと。</p>
<p>「乗るよ。後ろ、ここ？」</p>
<p>「えっあ、うん。……グラブバーここね。走り出すとき掴まって。あと、ヘルメットはなくて」</p>
<p>「事故起こさないんでしょ？じゃあ大丈夫」</p>
<p>「う、うん。分かった。それじゃ――」</p>
<p>　エンジンが動き出す。機械的な音は、この夜空と森ばかりの風景にはまるで似合わない。<br />
　なのに、焚き火の前でうずくまっていたときよりも、ずっと心が落ち着いている。<br />
　不思議な感覚だった。さっきまでいた静寂の中よりも、耳を劈くようなエンジン音が心地良い。</p>
<p>「ねえ！何でバイク動かせるのー？」</p>
<p>　音にかき消えないように、自然と声を張った。</p>
<p>「ああ！デリバリーピザのバイトするときに、免許取ったんだ！」</p>
<p>「大型バイクの免許いるバイトだったんだー？」</p>
<p>「それがさ、スクーターでよかったんだって！」</p>
<p>「あはは！ドワイトらしい！」</p>
<p>「はは、まったくね！」</p>
<p>　ふと、会話が途切れたときだった。</p>
<p>「でも、今こうして未登録名前と2人で走れるから、ちょっと感謝してるんだ」</p>
<p>　それってどういう、<br />
　聞きかけて、やめた。今はただ、この音と風を感じていられればそれでいい。<br />
　しょせん私たちはエンティティが用意したサバイバー。儀式になれば、互いを見捨て、見捨てられる。余計なものは何一つ持てやしないから。<br />
　だけど。<br />
　私はバーを掴んでいた手を片方外して、ドワイトの腰に腕を回した。そして、そのままゆっくり身体をくっつける。<br />
　心臓が、体温が。全部が私のからだで感じ取れる。けどそれはきっと向こうも同じことで。<br />
　後ろから見えるドワイトにはなんの変化もないけれど、次ヘルメットを取ったときが楽しみだな、と思った。</p>
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