次の日の学校は、とても緊張した。
佐々木くんはそういうことを気にする人じゃない、というのはこれまでの会話から分かっていることだけど、わたし自身がどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。
あの後逃げるように立ち去ったことも災いしている。気にしてはいないながら、変だなと思ったのは間違いないだろう。
自分の行動が悔やまれるが、あそこで何事もなかったように振舞うのもわたしにはできなかった。
意を決して教室に入り、自分の席に向かう。やはり佐々木くんが先にいた。
「おはよう、未登録名前ちゃん★」
「お、おはよう」
佐々木くんがいつもどおり挨拶してくれたので、わたしもなんとか平常心を保つことができた。
「あ、そうそう★ボク、未登録名前ちゃんにお礼がしたくて★」
「お礼?」
「面白そうな本、いっぱい教えてくれたお礼★」
昨日の出来事が不意に蘇り、また顔が熱くなる気がした。
でも彼が何も言わないなら触れないほうがいいだろう。
わたしは気持ちを落ち着けるために、小さく息をついてから答える。
「そんな、いいよ。わたしが好きでやったことだから」
「でも、してもらってばっかりなのは、なんとなーくイヤだから★」
佐々木くんって頑固なところあるんだ。
その頑固も、彼の優しさからくるものだと思うと納得もいった。
「分かった。そこまで言うなら」
「よかった★じゃあ、放課後楽しみにしてて★」
そんな佐々木くんからのお礼と聞いて、ちょっとだけ期待もふくらんだ。
放課後になると、佐々木くんに連れられてある場所へとやってきた。
(物理部……?)
教室の入り口に貼ってある、手書きで書かれた張り紙を心の中で読み上げる。
そういう部があるのは知っていたが、部室を見るのは初めてだった。
授業では物理学をやっていないので、好んで部を設立するぐらい頭の良いひとたちがいるんだ、と思っていたが、まさかそれに佐々木くんも関わっているとは。
「こんにちは★」
佐々木くんがドアを開けて挨拶すると、中から返事があった。
「やあまぐろくん。こんにちは」
「こんにちは!」
そこにいたのは白衣を着た、りす?くま?のような外見の人と、赤い髪を二つに結った女の子。
二人は真ん中に置かれた実験台を囲んでいる。上にフラスコやら試験管があることから、なにかの実験をしていたらしい。
「おや、そちらのお嬢さんは?」
りすのようなくまのような人に視線を向けられ、緊張のあまり萎縮する。
この人、大変かわいい見た目をしているけど、声は低くて男前なので不思議な感覚だ。
戸惑っていると、佐々木くんが代わりに紹介した。
「こちら、未登録名前ちゃんです★今日はいつものお礼に、物理部を体験してもらおうと思いまして★」
「ほう。君がそうなのか」
そう、ってなんだろう。
疑問符を浮かべていると、赤い髪の子がこちらに走り寄ってきた。
「初めまして、安藤りんごと申します!あっちはりすくま先輩。あなたのことはまぐろくんから聞いてますよ」
「聞いてる、って、なにをですか?」
「最近話の合う女子ができて楽しいと」
「えっ」
「りんごちゃん★」
佐々木くんが焦ったように安藤さんの名前を呼ぶ。
安藤さんは本当のことでしょ、と笑っているけれど、わたしは笑えなかった。悪い意味じゃなくて、突然の嬉しい出来事に、逆になにも考えられなくなったのだ。
「恥ずかしがることはないよ。別に悪いこと言ってるわけじゃないんだし」
「そういうことは、自分から言いたかった、から★」
「なんだね。言っていなかったのか」
「ダメだよまぐろくん。そういうことはちゃんと伝えなきゃ」
「そうだけどー……★」
そのやり取りを見ていたわたしは、思わず噴出していた。
「未登録名前ちゃん?」
「あ、ごめんね。佐々木くんがいじられてるのって新鮮で」
また佐々木くんの新たな一面を覗けた気がして、なんだか嬉しかった。
すると安藤さんが、
「よかった。緊張がとけたみたいですね!」
やっぱり悟っていたようで、わたしににこりと微笑みかけてくれた。
照れくさかったけど、わたしも笑顔を返すことができた。
「では、改めて!」
「ようこそ物理部へ」
「歓迎する、よ★」
「はい。よろしくお願いします!」
楽しい時間はあっという間で、最終下校時刻をすぎてしまった。
今日は安藤さん……いや、りんごちゃんが部室の鍵を返す当番だというのでりすくま先輩がついていって、佐々木くんがわたしを送ってくれることになった。
もちろん、最初は申し訳ないから断ったんだけど、三人の猛烈な心配によりわたしが折れたのだった。
「今日は、どうだった?」
「すごく楽しかったよ。本当にありがとう」
以前なら佐々木くんと並んだだけで、恥ずかしくてまともに顔も見られなかったのに、自然に会話ができる今が、とても不思議で、心地よい。
「それはよかった★ちょっと強引だったかな、って心配もしてたんだ★」
「そうなの?全然そんなふうに思わなかった」
「ならありがたい★」
佐々木くんが安心したような声で笑った。
――わたしは、また一つ気づくことがあった。
佐々木くんが見えなくなるとき、それは彼が笑っているときだと思ったが、物理部にいたときの佐々木くんは、終始きちんと見えていた。
そればかりか、わたしと話していてもかすむことがなくなった。
一体いつからだろう。謎はますます深まるけれど、見えるということはきっと良いほうに転じているんだろう、と考えることにした。
「よかったら、またおいでよ★未登録名前ちゃんならいつでも歓迎、だよ★」
「ありがとう。わたしもまた行きたいって思ってた」
みんなに会いたいというのもあるけれど、佐々木くんがきちんと見える場所にいたい、とも思っていた。