いつかの朝日で会いましょう

「は?」

 かの、厳粛と恐れられ威風堂々を体で表してきたような男、真田弦一郎の、これまでにただの一度も聞いたことのない声に幸村は思わず目を丸くした。

「は、って……未登録苗字の誕生日に何あげたのって聞いたんだよ」

 完全に足を止めてしまった真田の様子を見て、心中でため息をついた。もちろん学校に遅刻するなどという心配ではない。ある予想がすでに立てられてしまったからだ。

「一応聞くが、いつだった」

 ああやはり――
 今度こそ目に見える形でため息をついた。

「……昨日。練習が終わった後レギュラー陣みんなでファミレスに行ってお祝いしたんだ」

「何故それを――!」

「言わなかったかって、弦一郎は家の用事があるって帰っただろ。まぁ、こちらも急に決まったことだけれど」

「……」

「俺は助けないからね、自分で何とかしてくれよ。未登録苗字も、言われたからって祝われたくはないだろうしさ」

 そう言い残し、幸村は足早に学校へ向かった。

 未登録苗字真依は立海テニス部のマネージャーである。その快活さと優しさで部員を励まし、行き届いた配慮で1年生だった頃から部全体を陰で支えてきた。
 彼女の性格からして、誕生日を忘れたからといって怒るような女子ではない。むしろ、他を気遣って自分からは言い出さない。だからこそ、普段の礼を誕生日のお祝いという形で返したいというのが真田の意思であった。

(しかし……どうすれば良いものか。何か用意すると言っても、今からでは買いに行く時間もない。早くとも下校後か、いやそれでは未登録苗字に迷惑が)

「さなだー!」

 びくりと肩が跳ね上がる。声の主は、今まさに渦中にある未登録苗字のものだったからだ。

「おはよ!珍しいね、この時間にここ通ってるの」

「あ、ああ、今日は朝練もないからな」

「それは知ってるよー」

 わたしマネージャーだもん、と笑う未登録苗字とは反対に真田の表情は硬い。
 きっと彼女のことだ、自分が誕生日を忘れていたことを知りながら、それでも何でもないふうに装って話しかけているに違いない。
 寂しいと、思っていないはずがないのに。

「すまん、未登録苗字」

「え、どしたの急に」

 真田は体ごと未登録苗字へ向け、頭を傾ける。

「昨日はお前の誕生日だったというのに、俺は忘れて何もできなかった。本当にすまない」

 すると未登録苗字は一瞬の間を置いたあと、慌てたように手を振った。

「いいって!気にしてないよ!真田が忙しいの知ってるし、わたしも全然言わなかったから……」

 ふと未登録苗字の持つ鞄に視線が向く。そこには、昨日までなかったはずのマスコットが付いていた。覚えがある、確か、丸井が最近気に入っているとかいうキャラクターのもの。

「今からでも、俺に何かさせてもらえないだろうか」

 その言葉は自然と口をついていた。

「今からでも、って……」

「俺に出来ることであれば、何でもしよう。ゆっくりでいい、お前の望みを聞かせてくれないか」

 己が、何に対して焦っているのか分からなかった。忘れてしまったことへの申し訳なさ故か、それとも黙っていられたことへの苛立ちか。いずれにしろ鍛錬の足りない思考だと唾棄しつつも、今の真田にとって大事だと思うのは、何よりも未登録苗字の意思だった。
 未登録苗字は暫し逡巡したのち、うつむきがちになって片手を差し出した。

「……学校まで、手をつなぎたい、です」

 ぽそぽそと紡がれる言葉。向けられた小さな手。合わずに彷徨う視線。
 真田はその柔らかな手を取った。

「こ、こんなことでいいのか?」

「……こんなこと、がいいの!」

 真田には未登録苗字の意図が分からない。だが、嬉しそうに歩いている彼女を見ていると自分の迷いも霧散していく感覚がした。
 来年こそはみんなと祝えることができたら、とふと考えたとき、何故か散ったはずの焦燥感が蘇る気がして、真田は蓋をするように未登録苗字の手を硬く握り返した。