ハートネス・ライアー

“ごめん!彼氏と仲直りしたから今日行けないや!”

 約束の時間を30分過ぎたあたりで、なんとなくこうなるとは思ってた。思ってたけど、いざこの文字を目の当たりにすると、深い溜め息もでてしまう。友達が彼氏と喧嘩したのは一昨日じゃなかったか?それで、私が気晴らしに出かけようって約束したのが昨日だった。いくらなんでも早すぎやしないか。いいことなんだろうけど、私のはただのおせっかいなんだろうけど、このやり場のない怒りはどうすりゃいいんだろう。
 携帯をやけくそ気味にテーブルに伏せて、頬杖をつく。大通りに面したカフェテラスからは、たくさんの人通りが見える。友達同士か家族連れか、はたまた恋人同士なのか。いずれにせよ、今の私にはうらめしい。八つ当たりなのも分かっているので、本日二度目のため息をついてしまった。
 そして飲んだ。

「え、」

「なんだ、未登録名前じゃねえか」

 見覚えのある赤い人影だなあなんて思っていたら、なんとそれはナックルズだった。しかし一体なぜ。彼はエンジェルアイランドから降りてこれないはずでは。
 目を丸くしていると、俺だって買い物しに降りる時ぐらいある、と怒られてしまった。そういえば片手に紙袋を抱えている。どうやらエンジェルアイランドで育つ植物や果物を売って日用品などを買っているらしい。ナックルズがしっかり自活できていることにまた驚いているとチョップを食らった。ひどい。

「んで、お前はなにぼーっとしてたんだよ」

「あー……それはねえ」

 言おうとして、急にみじめになった。ナックルズの意外にもしっかりした部分を見て、彼氏も長らくいない友達にもすっぽかされ、あげくぼーっとしているところを見られて。
なによりナックルズに見られた、というのが一番情けなかった。だって私は、ナックルズが。

「実は、」

 言い淀んだのは、多分一瞬だったと思う。

「彼氏にふられちゃって」

「はあ!?おま、彼氏いたのかよ!?」

 予想通り、ナックルズは大きな声をあげた。はずみで紙袋がテーブルに落ちて中身が少しこぼれる。数種の缶詰と食パン一斤、それから雑貨。うーんナックルズらしい慎ましい買い物だなあなんて思っていると、ナックルズがずいと詰め寄った。

「なに冷静にしてやがんだよ!すぐに追いかけろよ!」

「……え?」

「どこに住んでるなんて名前のヤツだ!行かねえなら俺がふんじばってでも」

「っちょ、ちょっと待って!!」

 何気なくついたウソのつもりだった。だけど、ナックルズの性格を考えればこういう展開になるのも予想できたはずなのに。

「いいから、もう終わったことだから!」

「よかねえ!きちっと話し合えば変わるかもしれねえだろ!」

「ほんとに、もういいんだってば!」

 少し。
 嬉しくもあった。
 ナックルズが、こんなに必死になってくれるのが。
 だから苦しい。なんで最初にウソついちゃったんだろうって。自分のくだらない自尊心が、ほとほと嫌になった。
 私の必死さが伝わったのか、ナックルズも「そこまで言うなら……」としぶしぶながらも引いてくれた。

「お詫びといっちゃなんだけど、これから少し時間ある?」

「あー……まあ、少しなら」

「じゃあ、ちょっと付き合ってくれない?」

 私は、友達と行くはずだった水族館のチケットをナックルズに見せた。

 館内は、休みなのに人の数はまばらだった。今の私にはありがたいことだけど、静かすぎる水族館もそれはそれでなんだか淋しい。

「こういうのが好きなのか、お前は」

「うん。つまらなかった?」

「いいや。俺も静かなのは好きだ」

 強引だったにも関わらず、ナックルズは愚痴もいわずに私につきあってくれていた。それどころか少し楽しげに言ってくれるものだから、どうしても私は嬉しくなってしまう。
 もし、チケットが勿体無いから、なんて理由をつけずに普通に誘えていれば。ナックルズとこられて嬉しい、って素直に言えていれば。
 けれど、私はいつもこんなふうでしか彼と接点を持てない。いつからこんなにねじまがったのかな。思い返しても浮かんでくるのは、軽口にまぎれてでしか本音を言えない自分だけだ。

「……未登録名前」

不意に。ナックルズが足を止めた。

「ホントに、このままでいいのか」

 ふよふよ、と、水槽のなかでクラゲが泳いでいる。
 小さな水槽の明かりでは、相手の輪郭しか映し出さない。
 だけど、ああどうしてか、ナックルズがいまどういう顔をしてるのか分かってしまう。
 どうして、私はナックルズみたいに言えないんだろうね。彼はこんなにも私の事を考えてくれているのに。
 それが友達として、という意味だというのも分かっている。嬉しくて、悲しくて、ごちゃまぜになった私は、きゅっと下唇をかんだ。

「俺じゃ、ダメかよ」

「へ?」

 いま。
 ナックルズはなんて言った?
 唖然としているとナックルズは拳をにぎって息巻いた。

「だから、お前の隣にいるのは、俺じゃダメなのか?俺だったら絶対、そんな顔させねえ」

「え、いや、」

「そんなに別れたヤツのほうがいいってんなら、もう言わねえ。けど!お前のことずっと見てたのは俺だって同じだ!彼氏がいたのにも気づかないのにって笑うか?それでもいい、確かに俺は頭が回らねえけど未登録名前を思う気持ちにウソなんか」

「すとっぷ!!!!」

「んだよ!」

「どこから突っ込んでいいのか分からないけどとりあえずウソだから」

「は?」

「いや、私に彼氏がいたという話が」

「………………は?」

「それで、その上で聞きたいんだけど、ナックルズは私を」

「ちょっとまて!!!どういうことだよそれは!!!」

「こっちが聞きたいんですけどー!?」

 するとナックルズは、手で顔を隠しながらその場に座り込んでしまった。
 その間から微かに漏れてきた「カッコわりぃ……」という声が、やっぱりどういう顔をしているのかを容易に想像させた。

「……ウソついてたのは、本当にごめん。でもね、嬉しかったんだよ。ナックルズが一緒にきてくれて。こういうところが好きって言ってくれて。形はどうでも、私のこと思ってるって言ってくれて」

 この薄暗さのせいだろうか。そばで漂うクラゲのおかげだろうか。私の本音はねじれることなく声になる。

「私も、ナックルズのこと好きだから」

 がばっと立ち上がるナックルズ。
 それを見計らって、私は彼に抱きついた。

「私の隣にいるのは、ずっとナックルズがいいなあ」

 ナックルズは何も言わなかった。言い出せなかったのかもしれないけれど、代わりに私の背中に腕をまわして、ぎゅっと抱きしめかえしてくれた。

 休日。沢山の人通り。カフェテラス。
 私は携帯をテーブルに伏せたまま、頬杖をついていた。鼻歌をそえて。

「……わりい!待ったか!?」

 聞こえてきた声に視線をやって、大げさに頬杖を外してみせる。

「待った。すごーく待った」

「う、だから謝ってるだろ……」

 しゅんと肩を落とすナックルズに、私はこらえ切れずに吹き出してしまう。

「うそ。5分も経ってないよ」

「っおい!」

「ごめんごめん。でも、待ち遠しすぎてすごく長く感じちゃった。ナックルズに早く会いたいから」

 冗談めかして本音を言うと、ナックルズは顔を赤くしながら頬をかいた。それを見てくすくす笑っていると、何かを思いついたみたいに顔をあげ、私をみてニヤリと笑ってみせた。

「それなら一緒に暮らすか?」

「ええ!?」

「なんてな!さっきの仕返しだ」

「それもいいかもしれない」

「……マジ?」

「マジ」

ウソでもマジでも、全て優しい結果になってしまうのは、ナックルズと一緒だからだろうね。