女の子が笑っている。サテンのリボンを付けた白いワンピースの女の子が、くるくる踊っては楽しげに笑っている。まだ小さな女の子は時々つかえて、そのたび照れくさそうにはにかんでいた。不意に女の子が振り返ると、こちらに向かって駆け出した。画面が切り替わると、男性に抱えられた女の子が手を振っていた。画面の端には女性の手があり、女の子に振り返している。
薄暗い映画館にはわたしが一人。真ん中の席で、ひとりでに回る映写機がカタカタ音を立てるのを、ぼんやりした頭で聞いていた。
ふっと、隣の席に気配が生まれる。わたしは振り向くこともなく、画面を見つめたまま口をひらいた。
「今時、無声映画なんて」
すると隣のフェドラハットが小刻みに揺れ、くつくつという笑い声が漏れた。
「古い映画は好きだろう?」
ぽりぽり。ポップコーンを食べる音がする。わたしの心境とは裏腹な剣呑な雰囲気に、肩をすくめて息を吐く。
……映画、というか。
「フレディ。こんなもの見せて、どうするつもり」
彼は夢の世界の主で、彼が望めばこの世界では何でも思い通りになる。本当に、何から何まで、全て。
だから、わたしの幼少期をでっちあげて映画にしてみせるなんてことは、ケーキを1ピース食べるよりも簡単なことだ。
「こんなもの、ねぇ」
フレディは、ぎいと背もたれに寄りかかった。
「俺様は楽しいと思うがね」
そりゃぁそうでしょうね、あなたひとの嫌がることが大好きだもの。そういう意味ではこの映画は大成功、アカデミー賞受賞間違いなしだ。そうしたらきっと、わたしはレッドカーペットの上で、同じ色を体から噴き出すに違いない。白いドレスが、リボンまで染まるに違いないのだ。
「俺はなぁ」
背もたれから離れて、フレディがわたしを覗き込んできた。帽子の隙間に映写機の光が入り込んで、ほんの少しだけ瞳が見える。その瞳は、
「殺す時はな、幸せでたまらないーっていう奴を殺したいんだよ」
「……じゃあ、わたしじゃ役不足だから他を当たって」
「でも俺は、幸せそうな顔してる未登録名前が見たくてな」
見ないようにしていた瞳とかち合ってしまう。ゆらゆら瞬きする瞳は、静かな色に満ちている。
「夢の中でなら、お前の望む全てが叶うぞ」
「でもここは現実じゃない。ここで楽しい思いをしたって、現実はなにも変わらないわ!」
カシャン
再生の終わった映写機が沈黙する。周囲は静けさに包まれ、暗い館内はさらに暗くなる。もう相手の顔も判別できない。隣にまだフレディがいるのか、ひょっとすると呆れてもういないのかも。
急に、この世界にひとり取り残されてしまった気がした。不安感が全身を支配して身震いする。どうしてだろう、置いていかれるのには慣れたはずなのに。
なのに、わたしは、寝入るたびにここに来ることを心のどこかで期待してるんだ。
「未登録名前」
フレディの声にはっとする。相変わらず暗くてよく見えないが、正面から聞こえたようだ。ややあって布ずれの音がして、?に温かい何かが、形を確かめるみたいに滑っていった。
「言っただろ。『幸せそうな未登録名前が見たい』と」
息を呑んだ。
そうだ、彼は、最初からわたしを殺すだなんてこと、一度も。
「夢も希望もない現実なら、ここでくらい、あってもいいと思わないか?」
「夢魔が言うとすごい説得力」
「はは、そうだろ」
「じゃあ、――」
カタカタ、映写機が動き出す。スクリーンに新しい映像が映し出されると、色鮮やかな風景と誰かの笑い声がした。画面の端から女の子が走っていった。子というには育っているかもしれないが、ともかくその子は白いサテンのリボンを揺らしながら走り、画面の奥で振り返った。
「ありがとう!」
手を振って、また奥に向かって走り出す。カメラはじっとその背中を、消えるまで撮り続けていた。