いつものように入念な計画を経て、狙いの家に住む人間を殺した。理由は大したものじゃない。ただ目について、それで殺しやすそうだったから。それだけだ。
身寄りのない中年の夫婦だったので殺すのは簡単だった。だが直前に予想外の反撃をくらい、腕に深い傷を負った。病院になんかかかれるわけがないし、医者であればひと目で事故で負った傷じゃないと分かる。自宅に帰ろうにも、万が一現場に血痕でも落とそうものならたちまち足がついてしまう。全く、らしくない失敗だ。
未だ鉄臭さが立ち込めるベッドのサイドボードからタオルを一枚拝借すると、刺さったままのカッターナイフを血がこぼれないように抜き取り、傷口を縛りつける。抜いたカッターナイフは隠すために懐に仕舞い込んだ。
あらかた血が止まったところで、次は物盗りに見せかけるために部屋を荒らすのが目標だ。わざと靴跡を残しながら、
適当に寝室を物色していく。靴跡は捜査の大きな手がかりとなる。だがこの靴には細工がしてあり、調べても俺に結びつくことはない。それどころか赤の他人に目が行くだろう。多少イレギュラーが舞い込んだが、計画も時間も予定通りだ。あとは一階を少し荒らして、引き上げるとしよう。
殺人を犯したあとの高揚感は、なかなか他では味わえない。それが、新聞の一面記事を飾って多くの人の目に留まるようなものであれば尚の事。俺はマスクの下で口角を上げながら、階段を降りて廊下を進み、リビングのドアを静かに開けた。
「、……」
思わず、こぼれそうになった息を呑み込んだ。人がいる。はっきりと顔は見えないが、背格好からして少女。
そんなバカな、この夫婦に子供はいない。それは住民票を見ても、近所の住民からの証言でも明らかだ。じゃあ、こいつは一体。
「血のにおい」
わずかに肩が跳ねる。そうだ、なんにせよ殺さなければ。今ここで通報されるわけにはいかない。どうせ死体が一人増えたところで大した問題にはならないのだ。俺の計画は、いつだって完璧だった。
俺は懐に仕舞っていたナイフに手をかける。そのとき、窓から差し込む月明かりがにわかに強まった。雲に隠れていた光が少女の顔を照らし出す。
アザと、腫れたまぶたと、ばらばらに切られた髪。血の気のない肌、痩せ細った四肢。
即座に理解した。こいつは、ずっとここで『いなかったことにされていた』
「君の親は俺が殺した」
懐から出したナイフを逆手に構えて、俺は一歩前に進む。
「さぁ、どうする?」
一歩、また一歩と少女に近づく。少女はぴくりとも動かず、ゆっくりと瞬きしながら、震える瞳で俺を見上げた。
「わからない」
今まで思考することを奪われていたであろう子が、そう答えることは分かりきっていたはずなのに。なぜ俺は、わざわざこんな問いかけをして、選ばせるような真似をしたのだろう。
なぜ俺は、こいつを刺し殺す気にならないのだろう。
各地に点在する俺の拠点、そのうちの一つに少女を連れ帰った俺は、シャワーを使わせてから簡単な傷の手当を施した。さすがにまだ顔を明かす気にはならないから、マスクはしたままだが。
少女はかなりやせ細っており、その上全身に打撲痕、タバコの火傷、その他にも――いや、これ以上はやめておく。殺人鬼にだって常識はあるんでね。
すっかり身ぎれいにした少女をソファに座らせ、温かいココアをいれてやる。連れ帰る途中に見せていた戸惑いと警戒はやや薄れたようで、促してやるとちびちびと飲み始めた。
「なあ、君……」
びくり、と少女が震える。完全に警戒はとけていないようだ。それもそうか。
「安心してくれ、殺しはしない。君の親を殺した俺が言うことでもないが、今すぐどうこうしようっていうならこんなふうにもてなしたりしない。だろう?」
ひとつひとつ、できるだけ声のトーンを落ち着けて説明すると、少女は視線をカップに落としながら小さく頷いた。まずは、これでいいだろう。
「君は、名前はなんていうんだ?」
「……わからない。呼ばれたこと、ない」
「親戚とか、知り合いはいるのかい?」
「わからない……ひとがくるときは、物置にいなさいって、いわれてたから」
「家から出たことは?」
「覚えてない。いつも、物置にカギがかかってた……」
はて、と少し考えた。俺が侵入した時、この子はリビングにいた。親はこの子に対してこんな扱いをしているのだから、寝ている時こそ寝首をかかれないように閉じ込めておくだろう――いや、そっちじゃないな。最初俺が侵入した窓、あれは開閉できないフィックス窓だ。そして、手持ちの道具で外して侵入した時、その部屋は物置らしく雑然としていた。
とすると……彼女を解放したのは俺ということになるのか。それでも気配に気づかないとは、俺の観察が足りなかったか、それともこの子の存在感の薄さか。
ふと視線に気づく。少女がカップを握りしめたまま、不安そうにじっとこちらを見つめていた。
「ああ、ごめん。考え事さ。これからどうしようかなーって」
「これから……」
おうむ返しに呟く彼女の瞳が、またカップに向く。痩せ細った指が所在なさげに表面を撫でた。
不安げに、寂しそうに、苦しそうに、――諦めたように。
「さて」
ぴたりと指の動きが止まる。
「君の両親は俺が殺した。そして、君は俺の犯行を知っている。その上で聞くけれど、君は俺が憎い?敵討ちしたい?――ああ、どう答えても君の命は保障するから、君が感じたことをそのまま教えてくれ」
少女は、ほんの少し口を開けて、閉じて、それを何度か繰り返してから硬直した。
俺自身、自分がなにを言っているのか分からなかった。なぜ一度した問いかけを繰り返しているのか、そもそもどうしてここに彼女を連れてきたのかでさえ、モヤがかかったように不明瞭だ。
分からない。分からないことだらけだ。調子が狂う、こんなのは俺じゃない。そうだ、もう殺してしまおう。約束をやぶることにはなるが、そもそも守ってやる義理なんかない。
そうだいっそのこと。
「わたし」
懐に伸ばしかけた手が、止まる。
「おばけさんが、わたしにどうしてほしいのか、知りたい」
マスクの下で、何度か瞬きした。
「……ふ、ふふ、そうか、おばけさんか。ふふっ」
「え、わ、わたし、変なこと言った?」
「いいや」
立ち上がり、彼女の隣に座る。すっかり空になっていたカップを奪うとテーブルに置き、彼女の肩を抱いて自身に寄せた。
「それならここにいて、俺のことをよく見てるといい。そうすればきっと俺の考えてることが分かるよ」
手を頭にかけてさらさら髪を撫でていると、彼女が小さく息をついた。
「お、教えては、くれないの」
「それじゃつまらないだろう?……そうだ、楽しいことをしよう。君はきっと今まで知らなかっただろうから、俺が教えてあげる。いろんなことを覚えて、知って、そうやって得た答えを、俺に聞かせてよ。楽しみにしてるから」
そう言って、視線を彼女に合わせる。彼女はやはり口籠もりながらも、一生懸命に考えて、それからおそるおそる視線を絡ませた。
「じゃあ、あの、わたし……ここに、います」
「ふふ、素直でよろしい。しかしそうすると、名前に困るな。なんて呼べばいいかな」
「おばけさんがつけて。呼びやすいので、いいから」
「そう?じゃあ……未登録名前」
この間読んだ雑誌に載っていた人名を挙げると、少女――未登録名前は、笑った。
「よろしくね、おばけさん」
初めて見る、綻ぶような笑顔。顔中アザだらけで、まぶただってまだ晴れているのに、俺には雑誌の表紙をかざるぐらいの美女にだって敵わないほどに、見えた。
「おばけさんのお名前は?」
「そりゃ教えられないな。おばけだもの」
「ええ!本当におばけなの」
「いやぁそういうんじゃなくて……まぁいいか。一応殺人鬼なもんでね。そうほいほい本名明かせないんだ。だから、おばけでいい」
なんとなく。俺が君に名付けたように、君が俺に名付けてくれるのが楽しくなってしまったから、これでいい。今日からこの子の前では、りっぱにおばけを演じてみせよう。
「ありがとう、おばけさん」
「うん、よろしくね未登録名前」
分からないことだらけのこの関係が、心地よく感じられる間だけは、どうかなにも気づかないでいておくれよ。