今の自分にできること

今の自分にできること

 翌日の朝――
 テイルスが台所でお湯を沸かしていると、背後から声がかかった。振り向くと、未登録名前がこちらを伺うように顔をのぞかせている。分からないとは思いつつもおはようと挨拶をすると、未登録名前は窓の外を指差して首をかしげた。外からは、何かを削る音や叩く音、荒っぽい声などが絶え間なく聞こえている。

「あれね、ナックルズとソニックが、君のために家を作ってるんだ。言い出したのはソニックなんだけど、ボクらもしばらくここに泊まるし、女の子は部屋を分けたほうがいいだろうって」

「……?」

「うーん、やっぱり分からないか」

 疑問符が消えない未登録名前に、テイルスは苦笑する。
 言葉が通じないというのは、やはり不便である。かと言って、声をかけないということはしたくない。意味が通じなくとも大事なことは伝えられると、ソニックを見て学んだばかりだ。

「とりあえず、ごはんにしよっか」

 テイルスがパンが入ったカゴを見せ食べるジェスチャーをすると、未登録名前は嬉しそうな顔をしてうんうんと頷いた。500年も前になると食の違いは危惧するところだが、パンは知っている食べ物であるらしい。
 外で作業をしていたソニックとナックルズを呼び、4人で食卓を囲む。食事は当番制で用意することに決まったので、今日はテイルスが、目玉焼きやサラダ、コーンスープを作った。未登録名前は初め緊張していたが、ソニックの「美味しいか?」の言葉で表情を和らげた。ナックルズに言葉の意味を教えられると、嬉しそうに「おいしい」と繰り返していた。

 午後になり、ソニックとテイルスは再調査のため未登録名前が眠っていた遺跡に訪れた。人間の言語を解読できるナックルズを呼ぶべきところではあるが、未登録名前を一人にしてはおけないことを考えると、言葉が分かる彼に未登録名前を任せるほうが良いだろう。
 まず未登録名前が眠っていた部屋を調べると、部屋全体が特殊な加工によって地中レーダー等では容易に発見できないようになっていることが分かった。この遺跡が民家であるという先入観も手伝い長い間気づかれなかったのだろう。だが、未登録名前が眠っていた機械は彼女が目覚めたときに壊れてしまったらしく、詳しいことは分からなかった。推察を交えると、滅多に出土しないというプリズムグラスを鍵とし、外から開ける構造になっていることから、未登録名前は何者かによってコールドスリープを施されたとうかがえる。遺跡の建設年数を考慮すれば、未登録名前が眠ったのは人間たちの戦争の最中である。とするなら、近しい人間が未登録名前を戦争から守るために眠らせた、と考えるのが妥当だろう。

「コールドスリープや部屋の特殊加工は現在にもある技術だけど、どれも一般的じゃない。ただの民家に使うには……」

 持参の板型情報処理端末から顔をあげ、テイルスが唸る。ソニックも同意だというように肩をすくめた。

「女の子一人を隠すためだけにしちゃあ、大掛かりすぎるな。プリズムグラスだって、人間の技術でも貴重なもんだっていうし」

「こうなると、未登録名前自身になにか秘密があるのかも。記憶が戻れば分かるかもしれないけど……」

「でも記憶が戻るってことは、」

「分かってる。酷なことだって」

 記憶が戻れば、家族、友だち、住んでいた場所はどこだと尋ねるだろう。未登録名前が知る景色と今ある景色はまるで別世界だと言うだろう。そうなれば、言わざるを得ない。
 人間は全て、500年前に絶滅した、と。
 ――テイルスの脳裏に、今朝の笑顔が浮かぶ。記憶が曖昧で知らないものに囲まれて不安でないはずがないのに、彼女は「おいしい」という音を言語にしてみせたのだ。

「ボク、人間の言葉を勉強しようと思う」

「未登録名前の記憶を探るため、か?」

「ううん。記憶が戻って未登録名前が辛くなっても、支えてあげられるようになりたいんだ」

 ソニックは目を見張ってから、ふっと笑みをこぼす。テイルスは、孤独というものを知っている。だからこそ出た言葉であることを、ソニックもまた知っていた。
 隠し部屋への入り口を見つからないよう再び塞ぐと、二人は遺跡を後にしナックルズの家へと戻る。ソニックは自身の足で、テイルスはトルネードで来ていたためテイルスがやや遅れてやってくると、着陸の音を聞きつけてか玄関が開いた。現れたのは、未登録名前だった。

「テイルス、おかえり、なさい!」

 屈託ない笑顔でそう言った。驚いて口をぽかんと開けていると、後ろで見ていたソニックが声を上げて笑った。

「未登録名前のやつ、自分から言葉を教えてくれってナックルズに頼んだらしいぜ」

 考えていることは、どうやら同じだったらしい。
 テイルスは頬をかきながら、嬉しそうに返事をする。

「未登録名前。ただいま」

 外は夕暮れ。星がまたたき始める。静かな夜に向かうなか、賑やかな笑い声が空に溶け込んでいった。