伝える想い

「締め切り間に合った~!」という、お姉さんの元気のいい声を聞いてから、どのくらい経っただろうか。
そろそろ出版したって話が出てきてもいいと思うんだけど、お姉さんから一向にその話が聞けない。
それどころか、お姉さんは段々と元気をなくしていった。
声をかけてもどこか上の空で、笑っていても、力がなかった。
病気かなにかかと心配したけど、それは違うから大丈夫、としか答えてくれない。
そして、お姉さんを町でみかけなくなって、二日ほど。
ボクやりんごちゃんの親も心配していたので、ボクが様子を見てくる、と買って出て、こうしてアパートを訪ねた。

チャイムを鳴らしても、お姉さんの声は聞こえない。
ダメ元で、ドアノブに手をかけてみた。開かなければ、アパートの管理人さんに話をしてみようとも思った。
ところが、ドアノブは、何の引っかかりもなく回った。

「……お姉さん?」

そっとドアを開けて、中を覗きこんだ。
お姉さんは、いた。うすぐらい部屋で、膝を抱えていた。
周りには、原稿用紙がくしゃくしゃになって散らばっていた。
いつもの、元気のいいお姉さんはどこにもいない。
そんな姿を見て平静でいられるわけがなかった。

「お姉さん」

申し訳ないと思いつつ部屋にあがり、お姉さんの肩をそっとゆすった。
散らばった原稿用紙は、踏まないように片手で脇へやった。

「……まぐろ、くん」

顔はあげなかったけど、お姉さんは泣いていた。

「一体、なにがあったんですか?みんな心配してます」

お姉さんは、何度かしゃくりあげて、小さな声で言った。

「あの、ね。私の本。なくなっちゃった」

「え……?」

「私が出版する前に、大手の、作家さんの本が出て。その内容、似てるから、って……私のが」

だから出版をとりやめた。
ボクでさえショックを受けたというのだから、お姉さんへの衝撃は計り知れない。
現にこうして、お姉さんは。

「いつも、ならね。よくあること、だって、思えるんだ。でも、あの話、は、この町に戻ってきて、初めての、話だったから」

「思い出、ですか?」

お姉さんは頷いて、そして、顔をあげた。
涙で、顔をゆがませて。

「でも、全部なくなっちゃった。あんなに出したかった本なのに。私、やっぱりだめだ。だめなんだよ……」

もう見ているだけなんて出来なかった。
ボクは、未登録名前さんをぎゅっと抱きしめる。

「まぐろ、くん?」

「未登録名前さんは、だめなんかじゃない」

年上だとか、名前だとか。
そんなもの全てどうでもよかった。
ただ、未登録名前さんに伝えたかった。
どんな形でもいい。とにかく伝えなければと。

「ボク、未登録名前さんの本、全部持ってるんだ。最初にもらった本を読んで、好きになったから」

「え……」

「大好きなんだ。未登録名前さんの本。ボクが一番、未登録名前さんの本が大好きだって言いたいくらい。……それで」

抱きしめる腕に、力がこもる。
もう、ほんとうに、感じていたわだかまり全て、どうでもよくなっていた。

「それで、未登録名前さんのことが好きになった。あんな素敵な世界を持ってる未登録名前さんのことが、本当に大好きなんだ。今は、ボクはなにもできない子供だけど、いつか、いつかきっとあなたのことを支えられるくらいになるから!」

「まぐろくん……」

「だから……」

「ふ、ふふ」

未登録名前さんは、いつの間にか泣き止んでいて。
笑った。

「未登録名前、さん?」

「あはは、まぐろくん。それすごいね。すごいこと言ったね~」

「え、いや★」

泣き止んでくれたのは嬉しいけど、そういう風に流されるとは。
流されると、今の自分の状況がものすごく恥ずかしいことに気づいて、慌ててお姉さんから離れようとする。
でも、お姉さんがボクの背中に手を回した。

「ありがとう、まぐろくん。君の気持ち、たくさん伝わったよ」

「お、お姉さ」

「え~さっき名前で呼んでくれたのに、今更戻るの?」

「それは、勢いで★」

「ふ~ん、まあいいけど。で、私がそこにこだわる理由、知りたくないの?」

そういえば、そうだ。
抱きしめかえされて頭がいっぱいになって、気にも留めなかった。
お姉さんはボクからちょっと離れて顔を見せる。
目は赤いままだったけど、いつものお姉さんらしい、元気な笑顔があった。

「あのねえ君。いくら歳が離れてるからって、男の子一人を誘ったりすると思う?」

「え、あ」

少しずつ思考が正常に戻る。
じゃあ、やっぱりあの時、お姉さんは照れていたんだ。
りんごちゃんとボクをたきつけるようなことを言っていたのも、本気でそう思ってたわけじゃなく?

「まぐろくんも相当にぶいね。おかげで大変な思いをしたよ」

「申し訳ない……★」

「いいけどね~」

お姉さんは、またボクを抱きしめる。

「でも、その返事、もうちょっとだけ待っててもらっていいかな」

「どうして、です?」

お姉さんの気持ちも、十分すぎるくらい伝わっているのに。
まだボクに、足りないものがあるから?
不安に思ったとき、お姉さんがこつんと頭をたたいてきた。

「これ、不安そうな声だすんじゃない。今は、見ての通り仕事でごたついてるからさ。それがぜ~んぶ終わってから、ちゃんと言いたいんだ」

お姉さんがそう言うなら。

「分かりました★」

「ばかたれ」

また、頭を叩かれた。

「そこは『分かった』でしょ」

「……いきなりは無理ですよ★」

「小さい頃はタメ口きいてたくせに~」

「そりゃ小さいからですよ★」

「いずれなおせ~」

「善処します★」

「なまいき~いつからそんな生意気になっちゃったのよ~お姉さん悲しい~」

そうは言いながら、お姉さんは楽しそうだった。
本音を言うなら、ボクだって敬語はやめたいし下の名前で呼びたい。
でもお姉さん自身が、仕事に一区切りつけてから、と言ったから、ボクもそうすることにした。

「仕方ないな~、ちゃちゃっと片付けてしまうか~」

「そうしてください★」

「じゃ、もうちょっとだけ、こうさせて」

「……はい★」

今はまだ頼りないかもしれないけど。
そばにいることはできるから。
これからいくらでも、未登録名前さんが泣いても大丈夫なように。
ボクも、もっと強くなる。