刀剣:実休光忠

 人の身を得て初めて思ったのは、「脆い」ということだった。
 皮膚は裂けやすく、骨も折れやすい。気温の変化で病にもかかるし、そうでなくとも疲労を感じれば動けなくなる。人の身体はなんて脆いのだろう。だから僕たち刀なんてものが、やすやすと人の体を引き裂けるのだ。
 もし、このままもう一度焼かれることがあったなら。
 そのとき僕はどうなるだろう。人の身体ではあんな温度に耐えられないから、人の形は保てなくなるだろう。では刀のほうは?いくら鉄の塊とはいえ、三度も焼かれて無事では済まないだろう。そうなれば、もう、

「あぶないっ!!」

 その声が聞こえるころには、

ばっっっしゃん!!

 僕の前髪から水が滴り落ちていた。

「すみませーん!!」

「わっ悪い!!よく見てなかった!!」

 向こうの庭から鯰尾藤四郎と、愛染国俊が駆け寄ってきて頭を下げた。ふたりは水を使って遊ぶ玩具を手にしているから、きっと水遊びをしていたんだろう。そんなふうに観察していたら、少し遅れてこの本丸の主も走り寄ってきた。

「実休さん!大丈夫ですか!?」

「いや、僕はなんとも……」

「わ、すっかりびしょ濡れ……ふたりとも!バツとして実休さんの替えの服と大きいバスタオルを持ってくること!いいですね!」

 それを聞いたふたりはめいめい何かを叫びながら本丸の奥へと引っ込んでいってしまった。

「僕はこのままでもいいのだけれど」

 この気温なら外にいればすぐに乾いてしまうだろうし、人の形を取っているとはいえ本質は刀だ。本当の人間よりは丈夫に出来ている。だから、どうしてふたりがあんなに慌てているのか分からなかった。
 すると主は信じられないというような顔を僕に向けた。

「良くはないでしょう。水をかけられて、怒ってないんですか?」

「怒る?だって事故だろう?」

「それはそうですけど、どっちかがちゃんと前を見ていれば起きなかったわけですし……あと私の監督不行き届きといいますか……」

「主、僕は刀だよ。人と違ってそう簡単に壊れたりしない。だから気にすることじゃ」

「実休さんっ!!」

 目を見開く。
 主が僕の手を、やけどの痕が残るほうの手を両手でしっかりと握りしめている。

「よその本丸ではどうだか知りませんけど、私の本丸でそんなふうに言うことは許しません」

「そんなふう、とは」

「自分をただの道具だとか、感情を無視してお話することです。ここにいるのは、実休光忠という刀であり個人です。私はあなたの心を蔑ろにしたくありませんし、あなたもあなたの心をもっと大事にしてください」

 こころ。
 その言葉を聞いたとき、僕の視界が少しぼやけた気がして、なんだか胸のあたりが苦しくなった。

「実休さんはここに来てまだ日が浅いですから、もっと聞かせてください」

「なに、を?」

「あれが好きとかこれが好きとか。好きな食べ物とか、好きな風景とか、考えてることいっぱい聞かせてください」

 ふ、と。
 沢山の人達が刀の僕を見ている風景を思い出した。古ぼけてかすれていたけれど、そのうち一人が確かに僕にこう言った。
 『きれいな刀だ』と。

「僕、は」

「はい」

「……きれいかな」

 主は二、三度瞬きした後、にっこりと頬を持ち上げてこう言った。

「ええ。実休さんは、とってもきれいな刀です!」

 今にしてみれば、きっとあのときの声に惹かれたのだろうな、と肩にかかるわずかな重みに幸せを感じながら思い返していた。