あの背中に恋をした。
出陣の際、槍を携えてぴんと伸ばした背筋も。朝、眠たげに曲げた猫背も。仲間たちと呑みながら楽しげに揺れる背も。
気づけば目で追ってしまう。広くて大きくて、頼りになる背中。
「ん?」
「……!!」
肩越しに振り返りそうになった瞬間、わたしは慌てて目を逸らす。どうか気づかれていませんように、と祈りながら日本号さんに背を向けて歩き出した。背中の主は、今日も追ってはこない。
もともと不相応な恋だと分かっていた。
相手は日の本一の槍で、正三位の位持ちで、対するわたしは、偶然この職に就いただけのなんの変哲もないただの女。この想いを告げたとて玉砕するのがオチだ。それならば、遠くからその背中を眺めているだけでいい。わたしが恋した、わたしだけの。
「……なんで??」
夕方、執務室。明日の仕事のまとめに取り掛かろうとしたところで、なんとあの日本号さんがやって来てこう言ったのだ。「俺を近侍にしてくれないか」と。
「なんでって……逆に俺が聞きてえな」
日本号さんは無精髭を撫でさすり、
「聞けば、蜻蛉切はまだしも御手杵まで近侍をやったことがあるってのに、俺だけいつまで経ってもその座にありつけないってのはどういうことかね」
ぐ、と言葉に詰まる。完全に私情だったからだ。好きで好きでたまらないから、一緒にいたらこの気持ちがばれてしまいそうだったから、今まで言えなかったのだ。
ふ、と嫌な予感が過ぎる。
もしかしたらこの聡明な槍はもうとっくに気づいていて、わたしを真正面から振るためにわざわざ自ら近侍を申し出たのではないか。いや、きっとそうに決まっている。でなくばこの気高い槍が、なんの取り柄もない審神者ごときに、
「あんた、好きなもんはあるか」
「へ」
ぽろ、と握りしめていたペンが手からこぼれ落ちた。その様子を見て、日本号さんはははっと短く笑い、わたしのそばに座り込んだ。
「俺はあんたを知らなさすぎる」
落ちたペンを拾って、
「……ああ、あんたこういう色が好きなのか」
確かに、そのペンは自分で選んだ。数あるカラーバリエーションの中から、これだというものを。
日本号さんの、鮮やかな瞳のような色。
「俺も好きだぜ。こういう色は」
かたん、と文机にペンを置いて。
日本号さんは、聞いたことのない声音で言った。
「なあ。俺にあんたを教えてくれないか」
「な、んで……」
背中を。追っているだけで良かった。
密かに想っているだけで良かった。
なのにどうして。
「なんで、か……なんでだろうな」
え、と思わず日本号さんを見上げる。
見上げるなんて、座っていてもこんなに距離があるなんて知らなかった。
日本号さんは、ゆるく目を細めてこう言った。
「何故だろうな。あんたのことが知りたくてたまらないんだ」
――戸惑い。その瞳に浮かぶ色を見て、わたしは悟った。
このひとは。自分の心を、感情を、持て余している。
「分かりました」
恐れず、まっすぐに。
わたしは、そこで初めて日本号さんの目をはっきりと見た。
「明日からしばらく近侍を頼みます。知っていきましょう、お互いのこと」
「あ、ああ。いいのか」
「いいも何も、あなたが言ったんですよ」
「てっきり断られるかと思ってな……」
「しませんよ。大切な刀剣からのお願いを」
「そうか」
気まずそうに頬をかく日本号さんを見て、わたしはまた、知らなかった一面に微笑んだのだった。