できれば夢なんかじゃなくて

 ぼた、ぼた。
 吐いた血が床に滴り落ちる。それでも私は、足を引きずり壁を伝いながら必死に歩いた。
 ボイラー室は、薄暗かった。煙こそ漂っているが機械が動いている様子はなく、むせ返るような暑さも目を焼く炎も全く感じられない。音もなく、自分の足音と息遣いがいやに耳障りだった。
 げほ、ともう一度咳き込む。口いっぱいに血の味が広がったので床に吐き出した。床に吐き出した血の上に、更に腹からこぼれる血が混ざり合って、不快な音を立てた。
 目の前がかすむ。いよいよ血が足りない。そう思ったとき、キィ、とかすかに金属が軋むような音が聞こえた。血の気が引いて、急いでその場から離れようとけんめいに足を動かした。だが気持ちとは裏腹に、折れた足ではちっとも前には進まない。それどころか、もつれた足に引っかかってがくりと膝をついてしまう。

「なあ未登録名前、どこに行くんだ?」

 キィ、キィと金属の音を響かせながら、背後から楽しげな声が聞こえる。私は無視し、足を起こして進み出す。

「ほら、こっちにおいで」

 うっすらと影が差し込む。私はぎゅうと目をつぶった。

「お前の好きなもの、何でもくれてやるぞ」

 靴の音がする。影が私を覆いだす。金属音はすぐそこだった。

「未登録名前」

 私はついに立ち止まる。

「俺の可愛い未登録名前」

 耳元の囁きに向かって、私は振り向きざまに拳を叩き込んだ。だがその腕は簡単にとらわれる。

「お前のそういうところが好きなんだよなぁ」

「……私は嫌い。大嫌い」

 鉄の爪につかまれた腕から血が流れる。それでも私は、腕に力を込めて抵抗を示した。たとえもう振りほどけるだけの力を持っていないのだとしても、この男にだけは屈してなるものか。
 
「ああ、その目だ」

 男の口元が、弦月のように歪む。

「その目が絶望に染まる日が楽しみだよ」

 ぱちん。
 男が指を鳴らせば、私の意識が元に戻る。視界には見慣れた自室の天井が、身体には傷一つもなかった。ただ異様なほどに高鳴る心臓が、あの出来事を象徴している。

 私は、まだまだ殺され続ける。