天然下克上

「あっ日吉君いたー。跡部君がこれ渡してってー」

 昼休み、購買から戻る途中に何ともイラつく話し方で呼び止められた。わざと一拍置いて振り返る。水瀬透子先輩がニコニコしながらプリントを差し出していた。内心で舌打ちしながら受け取る。

「……なんでいつもあなたが渡してくるんですか」

 水瀬先輩はテニス部のマネージャーでも跡部さんの部下でも何でもない。それなのに跡部さんは、俺に回すべき書類、些細なものから重要なものまで水瀬先輩づてに渡してくる。あの人が意味不明なのは今に始まったことじゃないが、無関係な人間を巻き込むような意味不明さは心底迷惑だ。おまけに水瀬先輩というイライラの象徴に任せるなんて。
 俺の胸中を知るよしもない水瀬先輩は、こてっと首を傾げる。

「うーん、跡部君と同じクラスだから?」

「じゃああなたじゃなくてもいいでしょう。ひとクラス何人いると思ってるんですか」

「むーそれは跡部君に言ってよー。私頼まれてるだけだし」

「言って、きかないからあなたにも言うんです。断ってください」

「ええー。断ったら日吉君と話せなくなっちゃうからやだな」

「またそんなことを……」

「日吉君と話すの好きだもん」

「俺は嫌いです」

 視線を逸らす。こうやってすぐ先輩は俺の心をかき乱す。だから嫌なんだ。どうせ跡部さんから頼まれる意味だって分かってないだろ。あの人はあなたのことが好きだからわざわざこんな回りくどいことをしてるんだよ。いい加減分かれ。そして俺を巻き込むな。

「……あー、ごめん」

「謝るくらいなら……」

「私、こんなだからさ。日吉君みたいなしっかりしてる子は、喋っててイライラしちゃうよね。でも日吉君と話せるの、やっぱり嬉しくて」

 視線を先輩に向ける。だが先輩は床を見つめていた。

「次からは、ちゃんと断るから。本当にごめんね。……嫌いなのに、付き合わせて」

 嫌い。
 自分で放った言葉を返されただけなのに。

「っ俺は!」

 先輩は返しかけた踵を止めた。その瞳は見たこともないくらい大きく見開かれている。
 跡部さんとかもうどうだっていい。というか、相手が跡部さんならむしろ好都合だったじゃないか。下克上だ。あの人なんかには渡さない。水瀬先輩を、絶対に奪い取ってみせる。

「先輩の、こと……き、嫌いじゃ、ないです」

「そうなの!?」

 やっとの思いで口をついた言葉は、考えてたものとはまるで別物だったが。水瀬先輩がキラキラと目を輝かせていたから、まあ、いいか……。

(やっとかよ。おせーぞ日吉よ)