引き継ぎ本丸の三日月宗近

引き継ぎ本丸の三日月宗近

 うららかな午後の日差しを受ける縁側。新緑はそよ風を受けてさらさらとなびき、遠くでは小鳥の囀りも聞こえる。なんと穏やかな空気だろう。

 そんな中で私はめちゃくちゃガチガチに緊張しているわけだが。

 何故かと言うと隣に、あの、麗しくて物静か、荘厳な雰囲気を携える天下五剣が一振り三日月宗近が座っているからに他ならない。
 「共に茶の湯を飲まないか」と誘われたのが三十分ほど前。不意打ちにも程があるタイミングであったが当然断れるわけもなく、導かれるまま彼の私室へと案内され、お茶(なんか高そう)を淹れてもらう事態に。あの天下五剣にお茶汲みを……!? と思ったので私がやると言ったがやんわりと却下され、ありがたく頂戴することとなった。
 一説によると(さにちゃんによると)、三日月宗近を見ればその本丸がどういった本丸であるかが分かるのだという。良好な雰囲気であれば三日月宗近はまるで本霊のごとき振る舞いを見せるというし、逆にブラック本丸では顕現すらしないとか。顕現したのちブラック化したのであれば刀解したかのようにいつの間にか消えるという。まぁ結局、与太話や噂話でしかないのだが。
 ともあれその三日月宗近が、ふたりきりでと茶の湯に誘ったのだ。身構えるなというほうが無理な話だろう。しかし一向に会話がない。ちらりと隣を盗み見ても美しい横顔が庭に向いているだけなので、私もお茶をちびちびと飲むより他なかった。それももうすぐ底を突きそうだ。その後はどうしよう……などとぐるぐる考えていると、

「時に」

 びくりと肩が跳ねた。咽せそうになるのをなんとか堪え、恐る恐る三日月宗近のほうを見る。

「お主、囲碁はできるか」

 いご。
 あまりにも唐突な言葉だったからか、私の頭は呆けてしまう。ややあって囲碁のことかと理解すると、私から見て三日月宗近より向こう側に碁盤と碁石が用意されていたことに気がついた。
 しかし。

「やったことない……」

「……そうか」

 三日月宗近はそう言うと、お茶を飲んで湯呑みを置いた。

「難しいな」

 湯呑みの中身は、空になっている。

「俺は、俺というだけで――『三日月宗近』というだけで、相手を萎縮させてしまう。故に……うむ、難しい」

 肩透かし。
 とは、まさにこのことだろう。

 つまり、アレだ。
 この神の末席たる天下五剣が一振りは、たかだかちっぽけな人間ひとりとの距離をどう縮めればいいのか、めちゃくちゃに困っているわけだ。

「……ふ、ふふ、」

 なんだ。同じじゃないか。あの時の私と同じ。
 そう考えたら肩の力が完全に抜けた。ひとしきり笑って、そして思い出す。私が困り果ててとろろ蕎麦を頼んだあと、長曽祢さんが笑った理由。あれはこういうことだったんだ。

「他の遊びをしよう。三日月さん、トランプは分かる?」

 三日月さんは瞬きを数回したのち、ああと言った。

「先代に教わったな。短刀たちに混ざって、ババ抜きや七並べなどはやったことがある」

「じゃ絵柄や数字の意味は分かるね。そうしたら――」

 私はにんまりと笑った。

「インディアン・ポーカーで勝負」

 インディアン・ポーカー。
 山札から一枚取って手札とし、『自分で見ないようにしながら』おでこに掲げ、『相手には見えるように』表に向ける。そして、相手の手札や会話から自分の手札を予想しつつカードを交換するか読み合い、最後に相手より大きい数字だったら勝ちというのがルールだ。なお今回交換できるのは一回までとした。

「成る程。会話による駆け引きを楽しむ遊戯というわけだな」

「さすが三日月さん、話が早いね。出来そう?」

「ああ。初めて聞いたが、遊び方も平易で分かりやすい故、俺も楽しめそうだな」

「よし。じゃあババを抜いてカードをよく切って……五本勝負で、三本先取で勝ちにしようか」

「あいわかった。そうだ、もし数字が同じだった場合はどうする?」

「そのときはスート……絵柄の強さで決めよう。強い順は、スペード、ダイヤ、ハート、クラブね」

「ほう、絵柄にも強さがあったのか。先代はそこまでは知らなかったようだが、お主は随分と詳しいのだな」

「結構好きなんだ、こういうの」

「ははは、これは楽しい駆け引きになりそうだ」

 自室から持ってきたカードをよく切り(その間に新しいお茶が用意されていたのでお礼した)、向かい合って座る私と三日月さんの間に置く。お互い一枚ずつ、手のひらに乗せるようにカードを取って額に当てる。

「では、……いざ!」

 ぱ、とお互いの手札を相手に向けた。

 出だしは、私にとっては順調だった。そこは曲がりなりにも経験者だからだったが、さすがはあの三日月さん、コツを掴むのが早いし、何より普段の顔つきと喋り方がポーカーフェイスそのものだ。最初の二本こそ私が取ったが、続く二本は三日月さんに取られた。

 つまり、これが最後の勝負。

「どうした? 手が震えているのではないか?」

「……三日月さんこそ」

 お互い、笑みを浮かべている。だが目つきは鋭い。刀など持っていないのに、お互いの喉元にギラリと光る白刃が添えられているような感覚がある。
 三日月さんの手はスペードの四だった。順当に考えればそれを下回る数は三と二しかないため、カードを交換せずとも勝ちの確率は高い。
 だがしかし、だ。
 これまで三日月さんが引いてきたカードは大きい数字ばかりだった。これが天下五剣の持って生まれた運なのかやたらと引きがいい。スートだけならトップであるのがその証拠。それを踏まえると、私のほうが低い数字であることも十分考えられる。
 勝負事には『流れ』というものがある。過去繰り広げられてきた大きな戦も、時の運としか思えないような結果に収まることも少なくはない。機に乗じる、好機が訪れる……といった言葉が存在するように、勝負というのは場の流れを掴んだものが勝つようにできている。と、思う。

「お主、交換はしなくて良いのか?」

「へー交換してほしいの? ってことは良い数字なんだね?」

「いや、老婆心というやつだ。俺のこれまでの手を考えたら、お主のその手では危ういだろうと思ってな。まぁ俺は老婆ではなくじじいだが。ははは」

 こちらが何で迷っているかがもう読まれている。とすると、やはりかなり低い数字なのか?ヘタすると一番低い二である可能性すら出てきた。それなら交換して……いや、しかし、威圧は三日月さんの得意技である。なんたって国宝なのだ。こんなゲームでほいほい国宝の圧を使わないで欲しいが、ゲームとはいえ勝負は勝負。使えるものは何でも使う。ならこちらも、存分に読み合おうじゃないか。

「三日月さんは交換どうするの?」

「俺はこのままでいいな」

「自信があるね。撤回はできないよ」

「構わんよ。お主が交換しなければ、俺は勝てるからな」

 そう言って、三日月さんは微笑んだ――いや、これは。

「ああ、楽しいなぁ」

 まるで少年のように笑っている。

「交換は、しない」

 私がそう口にすると、その瞳が一瞬丸くなる。

「良いのか? 俺が勝ってしまうぞ?」

「……いい。大丈夫」

「そうか……では、」

「「勝負」」

 ぱっと、お互いの手札を下ろす。

 私は、スペードのエースだった。

「…………か、ったーーーー!!」

 思わず拳を握り込み、高く突き上げた。

「いや、参った参った。その手ではお主に交換してもらうほかなかったなぁ」

「スペードのエースは最強だもんねえ……もし交換してたら何になってたんだろ」

 山札から一枚めくると、出てきたのはハートの三だった。

「あっっっっぶな!!」

「なんと。惜しかったなぁ……因みにだが、交換しないと決めた理由を聞いてもいいか?」

「それは……」

 思い返されるのは、先程の三日月さんの笑顔。あの表情は、そう、まるで。

「思い切り勝負して、思い切り負けるのが楽しい……そんなふうに見えたから、かな?」

 そう言うと三日月さんは、すっかりいつもの調子で笑った。

「ああ、そのとおりだ。とうに読まれてしまっていたわけだな」

「読み合い、なのかなこれは……ただのカンだよ」

「いいや、立派な読み合いだ。相手の表情や仕草から情報を得て読み解く……やぁ、お主がこの本丸の主たる所以だな」

「んな大袈裟な」

 少し照れくさくなって後ろ頭をかいていると、三日月さんが少しだけ目を細めた。

「俺は至って真面目だぞ。負け越した後というのは焦りが出やすい。そして焦りは隙を生む。そうやって負けた将はいくらでもいるが、お主はそれでも冷静に判断した――しかも、だ」

 す、と三日月さんの手が伸びて、床に置いたままだったスペードのエースを拾い上げた。

「最後に手札となったこの一枚。これを見て、俺は思った。この先どれだけ困難な道を歩もうと、お主が最後に選び取るのは『最良』であるとな」

 三日月さんは、言っている。
 私がこの本丸の主として、みんなを導いていけるのだと。
 そしてその先の未来を、より良いものにできるだろうと。

「……うん。私も、みんなを信じてるよ」

 自信は、まだないけど。それでも三日月さんの言葉には力を感じて、いつもは素直に出てこない肯定が、すっと喉から溢れ出たのだった。

「しかし、この遊戯は奥深くて面白い。今度は他のものとも戦ってみたいな」

「複数人でやるともっと面白いよ。誰々は嘘をついてるーついてないーで議論も盛り上がるし」

「それは面白そうだ。では手始めに三条や鶴丸に教えてみるかな。鶴丸はさぞ喜ぶだろう」

「あー好きそうだよね」

 そして石切丸さんがカモられそう……なんて思ったけど黙っておこう。
 あ、そうだ。

「ねえ、三日月さん」

「なんだ?」

「私、今度は囲碁やってみたい」

 三日月さんは、ふわりと微笑んだ。

「――ああ。その時は喜んで教えよう」

 やや傾いた午後の日差しを受ける縁側。新緑は光を透かしながら煌めき、遠くでは帰路に着くであろう鳥の鳴き声がする。そんな穏やかな空気の中を、私たちふたりは肩の力を抜いて笑っていた。