思い出していた。

埃を被った、風景だった。

 俺は街へ出るためにエンジェルアイランドを発った。カレンダーは、もう見ていない。必要がなくなったからだ。
 街に降りると、ひゅうと冷たい風が吹き抜けた。枯葉が舞い、足元でかさかさ音を立てる。その枯葉を踏みしめて、俺は両腕の荷物を抱えなおしながら歩き出す。
 目指すのは、街の端。海が見える場所。
 誰もいない桟橋にたどり着くと、俺は抱えていた荷物……エンジェルアイランドから持てるだけ持ってきた花を、海へと下ろした。
 エンジェルアイランドに季節はない。12月の今でも、色とりどりの花が咲き乱れている。それを見たら、きっと未登録名前だって喜んでくれるはずだ。
 未登録名前は、海を見ていると故郷の河原を思い出すと言っていた。いつか、俺を案内してくれるとも言っていた。それはもう叶わない。だから、せめてこうして、花を届けてやりたかった。
 いつかの日曜日。いつものように公園を訪れると、未登録名前の代わりに見知らぬ女性がそこにいた。面差しから、すぐに未登録名前の母親だと分かった。
 あなたがナックルズさんですね、と、未登録名前の母は優しく、寂しそうに言った。そして、未登録名前からあなたのことを聞いていました、とも。
 未登録名前の母親は言った。未登録名前は不治の病であったこと。手術は失敗ではなかったが、短い命をつなぐに過ぎなかったこと。未登録名前は全て承知で、この公園に来ていたこと――
 その瞬間に、俺はエンジェルアイランドから持ってきた花を、地面に落としてしまったのを覚えている。やり場のない思いで、震えた拳のことも。
 海に下ろした花が遠くに流れ、やがて深く深く沈んでいくのを見届けると、俺は海に背を向けて歩き出す。刺すように冷たい木枯らしが吹き抜けても、エンジェルアイランドに唯一あるカレンダーは、夏の日付のままだった。