カチ コチ カチ コチ
いくら待っても、あいつが帰ってくる気配はない。
太陽は既に山際、薄紫の空が濃紺へ変わる時間になるというのに。
一体どこをほっつき歩いてるんだ。
俺がこんなに心配してるっていう――いや、心配なんかしてない。
ただちょっと……そう、呼ばれたんだよ、あいつに。未登録名前に。
呼ばれたから、仕方なく来てやって、待ってやってるだけだ。
夕飯をご馳走するからって、あいつが言うから仕方なく。そう。別に俺は、食べ物を必要としない。魔物だからな。でも、あいつが笑顔で言うから、断りきれなかった。それだけのことなんだ。
それにしたって本当に遅い。あいつのほうから呼んだくせに、この俺を待たせるとはいい度胸してやがる。
ほら、もう太陽が完全に隠れちまった。空は濃紺どころか、俺みたいに真っ黒だ。別に黒は嫌いじゃないけどな。
そういえばあいつも、黒は嫌いじゃない、むしろ好きだって言ってたっけな。やっぱり笑顔で俺を見るもんだから、少しだけむくれたのを覚えてる。
――むくれる?なんで俺が。だって俺は。待てよ。
おい。
これ は
だ
れ の
き
お
く
ごぼ、と喉の奥から空気が漏れて、泡になって水面に上っていった。
もう明かりは見えない。あいつが俺を倒して、部屋の鍵を開いたから。
指先、足先から形を失っていくのが分かる。俺を形成する俺の魔力が失われていく。
抗う力も、意思もなかった。少し前までなら、意思くらいはあったかもしれない。
でも俺は、結局あいつの影でしかない。
『俺の』記憶の中での未登録名前は、いつだって泣いていた。笑ったことなんて一度もなかった。
俺は、あいつに、なれなかった。
あいつの影なんかじゃなく、全く別の、人間だったなら、俺も、未登録名前に、
好きだったってことも、伝えられ、たの、だろう、か。
(ただいま)
(あ、おかえり)
Title:タケカワユキヒデ