憧れの向こう

すずらん商店街のわき道を通り、一つ目の角を曲がったところ。
そこには古いアパートがあって、小さいころから仲良くしてもらってる、お姉さんが住んでいる。
年は5つほど上で、名前は未登録苗字未登録名前さん。今は児童書の作家をしている。ぜ~んぜん売れないけど、というのは本人の談。
ボクとりんごちゃんは、小学校低学年くらいまで、たくさん遊んでもらった記憶がある。
お姉さんは本が好きで、特に絵本や児童書が好きだった。ボクやりんごちゃんに貸してくれたり、読み聞かせてくれたりもした。ボクも、お姉さんの聞かせてくれる本がすごく好きだった。
それから、古い遊びもよく知ってた。お手玉とかあやとり、ベーゴマやメンコなんかも知っていた。古い遊びが面白い、と思えるようになったきっかけだ。
けれど、お姉さんが小学校を卒業するころ、両親の仕事の都合で、お姉さんは引っ越すことになった。ボクは随分泣いたのを覚えている。その頃は、まあ……泣き虫だったんだよね。

でもまた、お姉さんは戻ってきてくれた。一人暮らしができるようになったからと、この町を選んでくれたんだ。
久しぶりに会ったお姉さんは、すごくきれいになってた。そりゃ、もう緊張っていうか、どぎまぎしたよ。昔と違って大人びた笑顔で「おっきくなったねえ」なんて、頭を撫でられたら。子ども扱いされるのは、さすがにちょっと、あれだけど。

そういうわけでボクは、学校からの帰りは、そのアパートの前を通るのだった。

「あ~まぐろくん。今帰り~?」

頭上から声が降ってきた。
見上げると、お姉さんが窓から手を振っていた。

「そうですよ★お姉さんは、またまた執筆、滞り中?」

アパートはそんなに高くないので、少し張れば十分、声が届く。
お姉さんは振っていた手を頭にやって、気まずそうにした。

「痛いとこつくね君は……休憩中と言ってくれたまえよ~」

「そーんなこと言って、いつも、窓全開で空を見てるじゃないですか★」

「まいったな~。ほんとよく見てるよね、まぐろくんは」

少しどきっとした。
ボクがお姉さんを見てる理由。
なんて答えようか迷っているうち、お姉さんが話題を変えた。

「あ、そういえば――ちょい待ち、今そっち行くわ」

「え、いいですよ★仕事中なんでしょう?」

「休憩中つったでしょ~」

一瞬お姉さんの声が遠くなり、鉄階段を下りる音がして、お姉さんがやってきた。

「そんで、りんごちゃんは?また物理部でりすくんと怪しげな実験?」

「ええ★」

少しだけ、胸が高鳴っていた。近くで見るお姉さんは、やっぱりきれいだ。
当の本人は頑なに否定するけど。

「ねえ。まぐろくんは、なんか部活やったりしないの?」

「特に興味のわくものがないもんで★」

そうしたらお姉さんと話す時間がなくなるから、という本音はしまっておく。

「あんだけ色々できるのに、勿体無いなあ。……ところでさ」

「はい?」

「りんごちゃんとは、どうなのよ」

「どう、って?」

「も~、少しは進展したのかって聞いてるの~」

お姉さんはさも嬉しそうに楽しそうに笑っていた。
当然、ボクは慌てる。

「だから、何度も言いますけど、ボクとりんごちゃんは、なぁんにもないんですって★」

「照れ隠しはいいんだよまぐろくん。いつでも協力するからさ~」

「結構、です★」

少々言い方がキツくなってしまうのは仕方が無い。
だってボクは……。

「それより、そろそろ仕事、再開しなくていいんですか?」

「ぬあ~せっかく忘れてたのに」

「ダメですよ、忘れちゃ★」

「わかりましたよ~。じゃ、まぐろくんも頑張ってくれよ~」

そう言ってお姉さんはひらひら手を振りながら、アパートに戻っていった。
お姉さんは、りんごちゃんとの仲を、という意味で言ったんだろうけど、ボクにとってはそっちじゃなく。

お姉さんとの仲を、頑張りたい。

最初は、ただの憧れだった。
優しくて、明るくて、ボクの知らないことをたくさん知っていて、教えてくれるお姉さんが、大好きだった。
その時はまだ小さかったから、お姉さんに恋してるから好きなんだって思いこんでたけど、お姉さんが引っ越したあと、気づいたんだ。あれは、単なる憧れだったんだって。
確かにお姉さんと別れて悲しかったんだけど、時が経つにつれ、少しずつ、その気持ちも薄らいでいったから。寂しいことに変わりはなかったけど、一緒にいたときほど強く思うことは、なくなっていった。
でも、今は違う。確信を持って言える。
お姉さんが戻ってきたとき、出版した本を一冊もらった。憧れのお姉さんが書いた本だからって理由で、その時は読んだ。
でも、いつの間にかお話そのものに惹かれていった。ありがちな内容かもしれない、でも、優しくて、どこか切なくて、心が温かくなる、そんなお話に。
ボクはお姉さんに内緒で、こっそり本を集めた。数はそんなになかったけど、どれも本当に面白かった。
そんなお話を書けるお姉さんに、いつしかボクは憧れじゃない、恋をした。
お姉さんの世界がもっと知りたい。どんなことを考えて、どんなものを感じ取っているのか。とても、知りたくなった。

最初はただの憧れだった。けど、今は恋してる。
それは揺ぎ無い、確かな想いとして、ボクの心の真ん中にあるんだ。