暗雲、迫る
あれからおよそ一か月が経ち、未登録名前は少しずつこの生活に慣れたようだった。元々頭が良いためか言葉や知識の飲み込みも早く、好奇心の強さもあってソニックたちとのコミュニケーションも増えた。記憶が戻る気配はまだないが、テイルスの分析ではリラックスした状態が続けばふとした拍子に戻ることもあるだろう、とのことだ。
それより気掛かりなのが、政府のことだった。今の所なんの動きも見せていないが、各地の遺跡調査は相変わらず熱心に続いている。こちらの発掘報告が虚偽のものだとこれからも疑われないとは限らない。ソニックは「バレたらその時はその時」などとうそぶいていたが、用心深いナックルズは注意をより深くはらう必要があるとし、暇を見つけては周辺の見回りを行なっていた。
近くの遺跡を一巡りし異常がないことを確認して家に戻ると、ソニックと留守番をしているはずの未登録名前が一人でいた。
「ナックルズ、おかえりなさい」
「ああ。ソニックはどうした?」
「外にいった」
「ちったぁジッとしてられねぇのかアイツは……」
未登録名前のそばを離れるのは未だ危険がある、そう判断しているナックルズにとっては、ソニックに行動には少しばかり呆れた。テイルスがいれば話は違ったが、今日は街へ買い出しに行ってまだ戻らない。
テーブルの上には読んでいたらしい絵本が積まれていた。言葉の勉強のためにとテイルスが自宅から持ってきたものだ。
「ねえ、ナックルズ。これ、ねこ?」
不意に未登録名前が、ナックルズに絵本を広げて指差した。その絵本は、不思議な宝石を持つ猫の王女が冒険するストーリーで、開かれたページにはその王女が悪者と対峙するシーンが描かれている。
そういえば種族の話はしたことがなかった。未登録名前が人間であるから、無意識に避けていたのかもしれない。
「ああ、猫だ」
「ナックルズは?」
「俺?俺はハリモグラだ」
「ソニックと、テイルスは?」
「あいつらは、ハリネズミと、キツネ……」
言いながら、内心で冷や汗をかいてった。この流れでは未登録名前が自分の種族を尋ねてくるのではないか。もしそうなれば、一体どんな返事をすればいいのかなど思い浮かぶはずもない。ソニックともテイルスとも、一度もその話になったことはない。ナックルズ一人で答えるにはあまりに荷が大きい。
なぜこの時にソニックがいないのか恨めしさまで覚え始めていると、未登録名前は小首を傾げた。
「テイルス……しっぽ2こ?」
ナックルズは胸を撫で下ろし、そして未登録名前に向き直る。
「……そうだな。けど、あんまり言ってやるなよ?テイルスの尻尾は特別なんだ」
昔、テイルスは尻尾が二本あることからいじめられていた。テイルスという名も彼の尻尾を揶揄し付けられたあだ名であり、本名はマイルス・パウアーという。だが、ソニックと出会い、走る姿に勇気づけられてからはそのあだ名を自分から名乗るまでに成長した経緯がある。
ナックルズの言葉に、未登録名前はふるふると首を振り、目を輝かせてこう言った。
「ううん。テイルスのしっぽ、かっこいい!」
「……ああ、その通りだな」
本当に、杞憂だったらしい。ナックルズが未登録名前に笑いかけていると、外がにわかに騒がしくなる。音からしてトルネードが戻ってきたようだ。未登録名前もそれに気づいたようで、嬉しそうに玄関を開ける。
「テイルスおかえりなさい!」
「ただいま。変わりなかった?」
「あのね、あのね!テイルスのしっぽはかっこいい!」
「えぇ!いきなりどうしたの」
戸惑ってはいるが、照れた様子を隠しきれていない。そのやり取りにナックルズは苦笑した。
ついで、テイルスにソニックを見たかと尋ねると、テイルスは部屋の中を見渡してから状況を飲み込み、見ていないと答えた。時間はもうすぐ夕方を過ぎる、ナックルズはため息をひとつこぼして、ソニックを探しに行くと家を出た。
流石にそこまで遠くへは行かないだろうと踏み近辺を飛んでいると、大きく隆起した岩場にその影を見つける。
「ソニック!なにやってんだよこんなトコで」
「ん、ああナックルズか」
ソニックがいたのは、天の大地に空いた大穴、闇の大地への入り口が望める岩場だった。惑星フリーダムで尤も荒れた場所であり、穴付近は雷雲が立ち込め、強風も吹いているため生身で近づくことはできず、磁場も発生しているので乗り物も寄せ付けない。何より闇の大地は大昔の戦争による大気汚染が進んでいるので、立ち入ることは政府によって禁じられている。
この場所の歴史が話題に挙がる度、「人間の愚かしさ」が取り沙汰される。我々獣人はそんな無駄な争いをしない、そんな協定が各国の間で組まれているほどだ。
「時々、思うんだよ」
その大穴を見つめながら、ソニックは言う。
「闇の大地、昔人間がいたっていう大地は、入り口ですらこんな状態だ。なのにその人間だっていう未登録名前は、あんなに無邪気で、いい子でさ。もしかしたら、オレたちはとんでもない勘違いをしてるんじゃないかって」
「……なにが、言いたいんだよ」
ソニックは顔をしかめ、
「政府の動きが怪しいんだ。テイルスも気づいてる」
「な、まさかバレたのか!?」
「そこまでは分からないな。だけど、ここ数日……嫌な予感がする。気のせいならいいんだけどな」
こういう時、ソニックの勘が外れるのを、ナックルズは見た覚えがない。
「とにかく、注意すればいいってことだよな。なるたけ未登録名前から目を離さないよう――ってお前!言ってるそばからほっぽり出してんじゃねえよ!」
「Sorry! でもオレにだってちゃーんと考えがあるんだぜ?」
「ほお、どんなだよ」
「どうせ理解できないだろ?」
「こんの……!あっくそ、待ちやがれ!」
走り出したソニックを追って、ナックルズは岩場から飛び立つ。結局家へ帰り着いてもソニックが考えとやらを教えることはなかったが、政府の動きは胸に留め置くことにした。
目の前で、無邪気に笑う少女が悲しむのを見たくはないから。