お店から外に出ると雲行きがあやしく、今にも降り出しそうな気配をみせていた。急いで帰ろうと走り出したところでぽつりぽつりと降り出してしまったので、仕方なく近くの軒先を借りることにした。シャッターが閉まっていたので少し申し訳ない気持ちになりながら、バッグからハンカチを取り出してほんの少し濡れた肌を拭いた。
夏の夕立なんて珍しくもなんともないのだけれど、どうしても、わたしが出かけた時に限って、だなんて考えて憂鬱になる。
雨はどんどん勢いを増していき、ごろごろと雷も鳴り始めた。これはあと1時間くらいは続くかなぁなんて思っていると、大きく風が吹いたのでぎゅうと目をつむった。そして再びあけたとき、驚きのあまり一瞬言葉をわすれてしまった。
「……シャドウ?」
「他にどう見える」
しばらく見つめて、おそるおそる彼の名を口にすると、いつものような口調でふんと鼻を鳴らした。すごい偶然だけど、きっとシャドウも急な雨に降られてここに駆け込んだに違いない。彼の体もすっかり濡れて――あ!
「シャドウ、濡れたままじゃ風邪ひいちゃうよ」
「僕は風邪など引かない」
「いいから!これ……使っちゃった後で悪いけど」
「いらんと言っている……」
それでもハンカチを出しても払いのけるそぶりを見せなかったので、わたしは水滴を払うように拭いていった。
ぱたぱたと地面を濡らしていくしずくと、その一歩先にある大粒の雨。とても対照的で、不思議な気持ちになる。つまさきから向こう側はまるで別の世界のようだ。ほんのすこししか、変わらないのにね。
「おい」
呼ばれて手を止めると、すこしだけ目を細めたシャドウがこちらを見上げていた。
「針はいい」
「え、でも、いちばんひどく濡れているよ」
「いいから触るな」
ぴしゃりと言われては、引っ込むよりほかはない。もしかしたら、針はむやみに触られたくない場所なのかもしれない。とても大事なものだから、親しい人以外には触れてほしくないのかも。わたしはまだ、親しくはないのだろうなぁ。ちくり、胸が痛む。
「あ、雨、まだやまないねぇ」
気にしないふりをして、わたしは正面に向き直った。雨はざあざあ降り続き、雷も近づいて、声だって大きくしなければ聞こえないほどだ。雷は、そんなに苦手ではないけれど、急に光るとびっくりして肩がすくんでしまう。でもそんなところをシャドウに見られるのははずかしいから、やっぱりなんでもないように死線をあちこちめぐらせていた。
「未登録名前は」
「え?」
「どこかの、帰りだったのか」
シャドウが話をふってきたことを珍しく思い、わたしはうれしくて頬を緩ませた。
「うん。これから家に帰るところだったの。でも天気予報、見てなくて、こんな夕立が来るだなんて知らなかった」
「まぁ、夏だからな」
「そうだねえ、夏は、空がきらきらしていて好きだけど、出かけたときにかぎってこんなふうに雨がふっちゃうのは、困るなぁ」
「僕は、そこまで嫌いではないな」
「そうなの?なんだか意外……てっきり邪魔だって言うかと」
「まぁ面倒ではあるが……雨自体が嫌ではない」
「そうなんだ。でも確かにシャドウと雨って似合うかも。落ち着いてて、雨の音以外静かで」
「君には僕がそう見えるのか」
「うん。あ、もしかしてへんなこと言った?気を悪くしたのなら、ごめん」
「いいや、――」
シャドウがそこで言葉を切り、ふと上を見上げたので、わたしもつられて上を見ると、雲のすきまから光がさしていることに気がついた。
「雨、あがるね」
「そうだな」
わたしは、もったいないな、と思った。いつも忙しくしているシャドウと、こんなふうにばったり出会って、ゆっくりと会話をすることなんてないから、この時間が終わってしまうのが、とても、もったいなかった。せめてもうすこしだけ、と願いをかけてみるけれど、あんなに勢いよく降っていた雨はいつしか小雨になり、ぬるい風とともにぴたりと止んでしまった。
「よかった、ようやく帰れる」
うそ。ほんとうは全然よくなんかない。でも、そんなふうに思っているのはきっと私だけだろうから、わたしは一歩前に出てシャドウを振り返る。
「それじゃあ、またね」
「ああ」
ゆるく手を上げてみせると。シャドウもまた返してくれて、そのあと、ぴゅうと姿を消してしまった。そうか、シャドウには空間を移動するちからがあるんだった。惜しいなぁ、もうちょっとだけ姿を見ていればよかった――
「……あれ」
じゃあ、シャドウには、あまやどりなんて、
その事実に気がついたとき、わたしの顔に全身の熱があつまったみたいになって、ひょっとしたら真夏の太陽よりも熱くなってしまったんじゃないだろうか。