笹の寄る辺は

 水に潜るのが好きだ、と知った。

 人の身体を得て、さまざまなことを経験した。二本の足で立って歩く。声を出して会話をする。食事をして睡眠をとって、そしてまた朝を迎えて起き上がり、仲間たちに「おはよう」と言う。
 その中でもとりわけ、水の中に潜ったり、泳いだりするのが好きらしい。
 元の逸話を考えるなら忌避してもおかしくない行動のはずなのに、皮膚を通して得る水の感触や温度、ごぼごぼと鳴る泡の音を掻き分けて水中の奥深くへ、何より自分の手足で進んでいけるのが心地良いと感じた。
 しかしそう、長く潜ってはいられない。人には呼吸というものがあって、息をしないと死んでしまう。オレは刀剣だから死ぬことはないけど、苦しいことに変わりない。限界を感じて泳ぐのをやめ、体の力を全部抜いて勝手に浮き上がるのをじっと待つ。潜るのは好きだけれど、この時間だけはどうも好きになれない。多分、それこそ、ただの刀だったころのことを思い出すからだろう。手足はなく、息はしなくていいけど波に流されるまま、何処へとも知らない海を漂うあの頃のことを。
 ざば、と水面から顔を出す。思ったより時間が経っていたらしく、辺りは濃い紫色を湛えた空模様になっていた。太陽はどこかへ隠れたばかりで、もうすぐ夜がやってくる。海の色も黒く暗い。身震いしたのは、きっと夜の海の冷たさだ。

「おーぅい」

 平泳ぎしながら浜に戻ると、小さな人影が手を振っているのが見えた。近づくにつれ、それはオレを顕現した審神者だと知る。そばに護衛の刀はいない。もしや一人でここへ来たのだろうか。

「ダメじゃないか、夜に一人で出歩いちゃ」

「それはこっちのセリフですよ!こんな時間まで一人で泳ぐなんて、何かあったらどうするんですか!」

 審神者は腰に手を当てて頬を膨らませていたが、あっと声を上げたかと思うとオレの頭に布を被せようとした。ふかふかのバスタオル。でも彼女の身長じゃ全然届かなくて、それでも一生懸命オレの頭に被せようとするものだから、堪えきれずに吹き出してしまう。

「なに笑ってるんですか、こっちは笹貫さんが風邪をひいてしまわないか真剣なんです」

「うん、分かってる。……分かってるよ」

 そう言いながら腰を屈めると、彼女は満足したようにバスタオルでオレの頭を撫で回す。水分がみるみる吸い取られ、下がりつつあった体温が浮上していくのを感じる。

 捨てられて。
 もう一度、捨てられて。
 だから今度は自分の力だけで戻ってこられるようになろうと思った。
 それで、潜った。
 どれだけ深く深く潜っても戻って来られるようになりたかった。
 だけど、水の底は暗くて、冷たくて、

 さみしい。

「早く帰りましょう。みんなが待ってます」

 彼女が手を差し出す。オレは、一瞬迷ったけど、自分よりもずっと小さくて細くて、それでとても温かい手を取った。

「おかえりなさい、笹貫さん」