今日は午後から雨が降るとかで、街の人影はまばらだった。オレも濡れるのは嫌いだけど、街中を思い切り走るには今しかない。そう思い、いつも人でいっぱいのエメラルドコーストに向かって駆け出した。
案の定、灰色の雲を抱える空の下で海岸を散歩しているようなヤツは見えない。まあ時期的にも中途半端だしな、と思いながら気分よくスピードを上げ――
女性と目があった。
人がいた、と気づいた瞬間にかかとでブレーキをかけたが、砂浜の上ではうまく機能しなかった。オレはそのまま、砂浜に頭からダイブしてしまう。
「いってえ?……」
「大丈夫?」
なんとか起き上がってかぶった砂を振り落としていると、立っていた女性が近寄ってきた。口元には堪え切れていない笑みを浮かべて。まあ、当然っちゃ当然だけどな……。
そんな複雑な気持ちが顔に出ていたのか、女性はしまったとばかりに手を振る。
「ごめんなさい。急に現れたからビックリして」
「ま……オレだって目の前で盛大に転ばれちゃ、そうなるな」
「うん、正直言うとちょっとおもしろかった」
「おおい!」
「アハハ、ごめん。けど少し元気が出たよ」
「ん?」
そういや、なんでこんな天気の悪い日に、しかも一人でエメラルドコーストにいたのか。オレみたいに無人の浜を走りたいから、なんてワケないだろうし。立ち上がって尋ねると、彼女は少し困った顔で笑い、視線を海に向けた。
「ここで人と待ち合わせ。たぶん、来ないけど」
寂しげな瞳が見る海は、大きな白波を立てている。空の色はいよいよ黒く、雨が降るのは時間の問題だろう。
オレは、彼女へ右手を差し出した。
「走ろうぜ」
「え?」
「きっと気分は晴れるだろうさ」
彼女は目をぱちぱちさせて、オレと手を交互に見たあと、ためらいがちに手を取った。オレはぐいと彼女を引っ張り、砂浜を駆け出した。
彼女でも追いつけるスピードでエメラルドコーストを駆け回る。波打ち際から桟橋、それを伝ってちょいと離れた小島まで。元気に飛び回るイルカはいないが、風に揺れるヤシや波の音は相変わらず心地よい。時々彼女のほうを振り返り、目が合っては笑いあった。
「ああ、こんなに走ったの、いつぶりだろう」
思い切り走ったあと、彼女は膝に手を当てて大きく息をついた。
「な、走ると気分いいだろ?天気がよけりゃ、もっと気分がいいだろうけどな」
「そうだね、次来るときは天気のいいときだね」
紅潮した?で笑顔を見せてくれた。その表情に、先ほどのような影は見当たらない。
瞬間、
「わ、――」
強風が吹き、彼女の髪が大きくなびく。彼女はそれを手で押さえながらも、かすかに笑ってみせた。
遠くで、雷の音がした。じきに嵐が来るだろう。
ただ。それだけのことだったのに、どうしてか、オレはそのシーンが忘れられなくなった。文字通り寝ても覚めても、走っているときでさえも彼女の仕草がリフレインする。
「そんなに気になるなら、名前を聞いておけばよかったのに」
テイルスの工房にて、そんなことをこぼしていると、返ってきたのはやや呆れ気味の言葉だった。あんまりオレが彼女の話をするものだからテイルスも聞き飽きているのだろうとは思うが、あれから街のどこを探しても彼女を見つけることができずにいるので、オレとしてもフラストレーションが溜まっているので愚痴らずにはいられない。とはいえ、テイルスの言う通り名前を聞いておかなかったのは最大のミスだ。
機械作業に戻ったテイルスの後ろ姿をぼんやり眺めながら、オレは腰掛けたイスを傾ける。一体、彼女はどこの誰なのか。街の至る所を走り回ったが、それらしい姿も、彼女を知る人物にも行きあたらない。あれは夢だったのかとさえ思うのに、オレの足は追いかけることをやめないらしい。
どうしてそこまで彼女のことが気になるのか、ふと考えたとき。
「……ヤバイ」
「へ?」
「オレ、落ちたかも」
「落ちた、って……ぅえええ!?」
がちゃん、となにかの機械が床を打ち付け、外れたネジがいくつかコロコロ床を転がった。テイルスは驚きのあまり口を開けたまま拾おうともせず、オレはぼんやりとした頭のままでネジが転がる先を見ていた。
ころころころ、とん。
ネジは、玄関のドアに跳ね返って動きをとめた。そのドアが、おもむろに開いた。
「こんにちは、あの……あっ」
この声。髪。顔。
忘れるはずがない。
「ああ!?」
オレはイスを跳ね上げんばかりに立ち上がって、彼女に駆け寄った。彼女はびっくりして目をぱちぱちしていたが、やがてふっと笑ってオレの手を取った。
「よかった、また会えて」
「……そりゃ、こっちのセリフだぜ」
「もしかして探してくれてたの?」
「ああ。街中走り回っても全然見つからなかった。あんた、どこにいたんだ?」
「それを話せば長くなるけど」
聞けば、彼女はもともと遠い東の国にいて、恋人を訪ねにきたという。しかし、待ち合わせ場所だったエメラルドコーストに恋人が来ることはなかったために、一度国に戻ったのだそうだ。
それならこの街を探し回ったって見つかるはずがないし、彼女を知る者がいないのも納得だ。それにしても、今度はオレを探してテイルスの工房までやってくるなんて、これは、少し期待してもいいんじゃない、か?
「私、あなたに言いたいことがあってね」
微笑んだ彼女に胸が鳴る。自然と、握られたままの手に力がこもった。
ちりちりする喉で、何を、と問えば、彼女はこう言った。
「あなたの名前を聞きそびれちゃったの」
後ろでテイルスが吹き出す声がした。
(あれ、私へんなこと言った?)
(いいや気にしなくていい)
(そう?じゃあ改めて。あなたの名前は?)
(オレはソニック!ソニック・ザ・ヘッジホッグだ!)