じゃあ、お話をしよう。
ここじゃない、どこか遠い国のお話。
昨日のことだったかもしれないし、はるか昔のことかもしれない。
そう、とても曖昧なんだ。まるで夢のなかのようにね。
でもそこは重要じゃない。大切なのは、ここからさ。
一人の少年がいた。馬を一匹つれていて、旅の途中だった。
旅の目的?さあ、なんだっただろうね。確かなのは、彼がなにかを探しているということだけだよ。
続けよう。彼は満月の夜、歩きつかれた馬を休ませるため森に立ち寄った。
平原を歩いていたから、他に宿がなかったんだね。川が一筋あったから、そこで水を飲ませていた。
すると、森の奥から歌が聞こえてきたんだ。
少年は驚いた。満月が頭のてっぺんにあるような時間だよ?もちろん、魔物だと思ったさ。ほら、いるだろう?歌声で酔わせて死に至らしめるとかっていう魔物。
よく知らない?それもそうか。まあ、それはおいといて。
少年は、見つかる前に倒してしまおうと思ってね。馬を木につないでおいて、剣と盾を持って、歌の聞こえるほうに向かった。
はっきり聞こえてくると、その歌声はとても美しいものだと気がついたんだ。
少年には、これが魔物の力だとは、どうしても思えなかった。なぜそう思った?少年は、魔物の声で体が動かなくなることを、すでに体験してたからさ。
けれど、そう思わせることが魔物の力なのかもしれない。少年は用心深かったからね、気は抜かなかった。
さあいよいよ魔物の姿を見つけると、少年はまた驚いた。
そこにいたのは人間の女の子だったからさ。年は、多分同じくらいだろう。長い黒髪が風になびいていたよ。
楽しそうに、気持ちよさそうに、けれど一人で、女の子は歌っていた。
「ここでなにをしてるんだい」
少年は思わず聞いていた。女の子は少年に気づかなかったのだろうね、びくっと肩を震わせてから、こちらを見た。サンザシの実のような、赤い目をしていた。
最初は驚いた顔をしていたけど、すぐに、嬉しそうに笑ったんだ。
「あなたが妖精さんなのね」
少年には、女の子が何を言ってるのか分からなかった。だから、黙ってしまった。それを女の子はかんちがいしたらしく、やっぱりそうだってまた笑ったんだ。
どうしていいか分からない少年に、女の子は走りよって手を取った。
「わたし、ずうっと待っていたの。妖精さんが、きっとわたしをむかえにきてくれるって」
やっぱり、何を言っているのか、少年には分からなかった。
「魔法のくすりがなくても、ちゃんとあなたのことみえるわ。満月のせいかしら。きっとそうね、きっと」
嬉しそうに話す女の子を前にして、今更違うって言えるかい?少年はひどく後悔したよ。ああどうして最初に黙ってしまったんだろうって。少年の悪いくせさ。肝心なときに、声をだすことができないんだから。
女の子は少年の手を離して、その場でくるっと回ってみせた。
「ダンスパーティ、は、ないのね。そのために、いっぱい練習してきたのだけど。でもよかった。あんまりうまくおどれないから」
「……僕も、踊るのは苦手だよ」
やっと少年が声を出した。すると女の子は目を丸くしてから、にっこり笑った。
「ああよかった。言葉がつうじないのかとおもったわ」
女の子は、とても表情が豊かだったよ。よく顔がかたいって言われる少年とは、おおちがいさ。あれが年相応、っていうんだろうね。とにかく、その子はよく笑った。
「おどるのがにがてなら、歌はどうかしら?歌なら、わたしもちょっとだけ自信があるのよ」
「それなら、」
少年は、もう、間違いを訂正するよりも、女の子と話をしていたいという気持ちになっていてね。
「あら、きれいな青いオカリナね?」
「これで伴奏しようと思って」
「すてき!」
女の子はよりいっそう、笑顔になったよ。真昼の太陽を見てるみたいだった。今差し込んでる光が、もし太陽の光だったら、もっと輝いてみえただろうなって、少年は思ったよ。
それで、女の子の歌と、少年のオカリナで、ささやかな演奏会が開かれたんだ。
少年は一度聞いた曲をすぐ覚えられるから、伴奏するのは簡単だった。それほど難しい曲でもなかったしね。
森の中だったし、人目を気にせず思い切り演奏した。女の子も、思い切り歌っていたよ。一人で歌っていたときよりも、ずっと美しく聞こえたものさ。
曲が終わると、二人は見つめあって、それから笑った。
「こんなにたのしい気持ちで歌ったの、はじめてだわ」
「僕も、こんなに楽しくオカリナ吹いたのはじめてだ」
「いっしょね、わたしたち」
「うん、いっしょだ」
うん?ああ、そうだね。少年は、いつの間にか年相応ってやつになってたよ。女の子につられたのかな。笑い方もね、心の底から笑ってるって感じがして、心地よかったよ。とても。
少年も、すぐそれに気がついた。けれど、それを言おうかどうしようか、少し迷ったんだ。それを話すには、本当のことを言わなければならないし、少年の、たいへんな身の上も話さなくてはならないから。身の上の話は、長くなるからまた今度。
でも一言、お礼が言いたかったんだ。こんな気持ちにさせてくれた女の子に、ありがとうを言いたかった。
さて、覚えているかな?少年の悪いくせ。そう、その通り。少年は言うことができなかったんだ。
そのうち女の子が、どこかもうしわけなさそうに、こう言った。
「妖精さん、妖精さん。わたし、もう帰らないといけないの。だから、森からだしてくれるかしら?」
少年は、そこでやっと思い出したんだよ。この森、迷いの森っていうんだ。
それで全てが繋がったと思った。迷いの森の奥には、確かに妖精がいるんだ。女の子は、それを探しに来たんだって。
それで、妖精である少年を見つけることが出来たから、迷いの森から外へ案内してほしいって、そう言ってるんだって思ったんだ。
少年は頷いて、女の子の手を取ってあげた。女の子は少しびっくりしていたけれど、また笑顔になって、少年の後ろをついて歩いた。
少年はちょっと理由があってね。森の抜け方をよく知っていた。だから迷うことなく、森の外に出ることができた。
「ありがとう、妖精さん。またあえるかしら?」
会えるよって、少年は言いたかった。でも言えない理由があった。
旅をしているからね。もう、ここを離れなくてはならない。
「もうここに来てはいけないよ。僕のことは、忘れるんだ」
おもいきって言ったよ。少年にしては珍しく、ね。うん、悪いくせは出なかった。そのことに少年は安心してた。しきってたんだ。
女の子は驚いた顔をしてた。それから少しだけ悲しそうな顔をした。
「そう……じゃあ、さよならね。妖精さん」
「さよ、なら」
なんて、苦しい言葉だろうね。実際、その言葉を口にするのに、時間がかかったよ。だってもう、会えないんだから。少年がここに戻ることも、おそらくないのだから。
それでも女の子は笑ってたよ。なんて強い子なんだろうね。少年は、笑えなかった。何度も別れを経験してきたけれど、こればっかりは、いつになっても慣れないんだ。
「妖精さん、さよなら」
女の子はそう言って、走っていったよ。後から思えば、家まで送っていってあげるべきだったのだろうけど、その時の少年は、石のようにかたまってしまってね。女の子の後姿を、じいっと見つめていることしかできなかった。
黒髪が闇にとけていって、影も見えなくなるころに、少年は、少しだけ、情けない話だけど、泣いたんだ。
話は、ひとまずこれでお終い。それから少年はどうしたか?それは、また今度。
え?また今度がふたつもあるって?しょうがないな、じゃあ、少しだけ話してあげるよ。
少年は、一度離れていったけれど、結局、その国に戻ったのさ。一度だけ。女の子のことが、忘れられなくてね。
そうしたら、ある噂を聞いたのさ。
「サンザシの実みたいな赤い目のスタルキッドが、迷いの森で歌を歌っている。その歌にとらわれてはいけない。森から出られなくなってしまうから」
スタルキッドのことは知ってるね。そう、魔物のことだ。そのスタルキッドが、あの迷いの森にずっといるんだって。歌を歌いながら。今も、ずっとね。
さ、これで話はほんとうにお終いだ。そろそろ眠ろう。でないと、赤い目のスタルキッドの歌に惑わされてしまうよ。
Title:ZABADAK