「きみって旅人なの?」
通りを歩いていたら、頭上から声が降ってきた。
女の人の声だった。細くてきれいな声をしてて、一瞬聞きほれたけど、あわてて声の主を探した。
すぐにその人は見つかった。
そばの家の開け放した出窓から、ひじをついてこちらを見ていた。髪の長い、きれいな人。
「あ、ごめんね。急に声をかけちゃって」
「ううん。大丈夫」
僕はまだ子供だから、背をうんと伸ばしてお姉さんに近づこうとした。
でも届かないから諦めたら、お姉さんのほうが身を乗り出してきてくれた。
「それで、きみって子供なのに旅をしてるの?」
近くで聞こえるきれいな声に、少しどぎまぎしながら頷く。
するとお姉さんは嬉しそうに笑った。
「すごいなあ。ね、よかったら旅の話を聞かせてくれないかな?」
ほんとは急がないといけないけど、でも、お姉さんのことがとても気になったので、
「いいよ」
と答えていた。
家の玄関には、お手伝いさんがいた。けっこう広い家で、豪華ではないけど調度品が高そうだなと思った。
お手伝いさんは「お話は伺っております、どうぞ」と無機質に告げて、僕をお姉さんのいる部屋に通した。
部屋は広くて、どこか寂しそうな印象を受けた。だって、モノがあんまりない。
大きなベッドがあって、クローゼットがあって、机があるだけだ。
お姉さんは僕の姿を見ると顔を輝かせた。
「いらっしゃい」
「おじゃまします」
「そだ、まだ名前教えてなかったね。わたし、未登録名前っていうの」
「僕はリンク」
よろしくね、と手を差し出すと、未登録名前が少し戸惑ってから僕の手をとった。
なんて細い腕だろう。色だって、とても白い。
もしかしたら未登録名前は、なにかの病気なのかもしれない。だからベッドにいるのかな。
じっと手をみていたから、未登録名前が気づいた。
「ごめんね。わたしの手……青白くてきもちわるいでしょう」
それで握手するのをためらっていたんだ。
「そんなことないよ。きれいな手だよ」
僕の手なんて、傷だらけのマメだらけだ。
それに比べたら未登録名前の手はずっときれい。
思ったままを口にしたら、未登録名前は困ったように笑いながら「ありがとう、やさしいんだね」と言った。
「ね、冒険の話、聞かせて。わたし外にでたことないから、知りたいんだ」
「女の人が喜ぶような話じゃないと思うけど――」
そう前置きしてから、僕はこれまでの旅の話をした。
コキリの森を出るところから、デスマウンテンを登って、ゾーラの里へ。
知らない場所に話が移るたび、未登録名前は目をきらきらさせて話に聞き入っていた。
話を終えると、未登録名前は拍手をした。
「すごい。ほんとにすごい。リンク君ってすごいな」
「そうでもないよ」
あんまりほめられると、少し照れる。
未登録名前はほうっとため息をついて、窓の外に視線を向けた。
「いいなあ……わたしも、一度でいいから、外の世界を見てみたい」
とても悲しそうな声だった。
僕は、未登録名前のそんな声は聞きたくないと思った。
出会って間もないけれど、未登録名前がとても優しい人だというのは分かってる。
そんな優しい人が傷つくところを見たくなかった。
「見られるよ。未登録名前だって外にいけるよ」
「そうかな」
「うん」
病気がよくなれば、絶対に行ける。
そうしたら、未登録名前にも色んな場所を見せてあげたい。
僕が育った森や、デスマウンテン、はちょっと無理だから、ロンロン牧場や、ゾーラの里。
きっと楽しいだろう。一人で景色を見るより、ずっといい。
でも未登録名前は、やっぱり困ったように笑うのだった。
「ありがとう。リンク君って、ほんとに優しい」
どうしたら、心の底から笑ってくれるだろう。
一生懸命考えるけれど、僕の頭では答えがでない。
僕が子供だから、未登録名前に安心させてあげられないのかな。
大人だったら、未登録名前を抱きしめてあげることだってできる。
僕が大人だったら――
「リンク君?どうしたの?」
「あ、ううん。なんでもない。僕、もうそろそろ行かないと」
「そっか。じゃあ、また遊びにきてね」
「うん。また来るよ」
大人になったら、またここに来よう。
きっとその頃には病気も治ってるだろうし、そうしたら、未登録名前とでかけよう。
そのためには、旅を終わらせないと。
僕は時の神殿へ向かった。
時の神殿でマスターソードを抜いたら、体が大人になっていた。
光の賢者ラウルさんが言うには、僕はまだ幼いから剣を扱いきれないため魂を封印されて、7年眠っていたらしい。
7年。その間に城下町は魔王のせいで魔物がはびこる危険な町となってしまい、住民はカカリコ村に避難したそうだ。
真っ先に頭をよぎったのが、未登録名前のこと。
彼女もカカリコ村にいるだろうか。病気はどうなっただろう。
僕はカカリコ村に向かい、未登録名前を探した。けれどどこにもいない。せめて知ってる人を、と思い人々に声をかけていった。
すると未登録名前の家のお手伝いさんに行き当たった。
「未登録名前は今、どうしているんですか?」
「未登録名前様は7年前亡くなりました」
なんだって?
「元々、不治の病だったのです。ご両親も諦めておりました。いつ死ぬかわからない状態だったのです」
無機質に告げるお手伝いさんも、きっと未登録名前のことを疎ましく思っていたに違いない。だからこんなに無感情でいられるんだ。
怒りと、悲しみと、色んな感情がまぜこぜになって、僕はその場で立ち尽くしていた。
お手伝いさんは不思議そうな顔をして立ち去っていった。
未登録名前が。未登録名前が7年前に死んだ。死んだ。
きっと僕と別れてからすぐだ。
もう二度と会えない。あのきれいな声を聞くことは出来ない。
最後まで、彼女が心の底から笑うところを見ることはなかったんだ。
僕は走り出していた。わき目も振らず、一心に走った。
「あら?リンク君どうしたの?」
未登録名前は相変わらずベッドにいて。
静かに微笑んでいた。
「忘れ物を取りに来たんだ」
「忘れ物?なにかな」
未登録名前があたりを見回す。
見つかるはずがない。だって僕が忘れてきたものは、形にはない。
僕は未登録名前の腕を握って、自分の頬に近づけた。
未登録名前はびっくりしていたけど、振り払う様子はなかった。
おそらく分かっていたのだと思う。
僕が未登録名前の病気を、不治のものだと知ったことを。
未登録名前の手は、温かくて、柔らかくて。
僕は知らず涙を流していた。
(もう触れることはできないんだね)